「終戦記念日」に思い出したことを書こうと思いついた。
私はあまり世の中の流れが同じ方向になると、「あれ??」って考える癖があり・・・・・当時私は「青い目の人形」と呼ばれるアメリカから贈られ、数奇な運命をたどった人形について「あれ??」と思っていた。
各地に残された「数奇な運命」がほぼ同じストーリーで組み立てられているのだ。つまり・・・多くの場合は「戦争が激しくなるにつれ、敵国(アメリカ)から贈られた人形を飾っておくことができなくなった学校の校長は、用務員に命じて人形を焼却処分するように命ずる。かわいそうに思った用務員はこっそり家に持って帰り保管した。そして戦後・・・・・。」というストーリーだ。まずどこの地域もほぼ同じストーリーであること、また私は何人かの校長を知っているがそんな馬鹿な人間ばかりではないこと・・・・それで「あれ??」と思ったのだ。
「青い目の人形」について説明したい。青い目の人形とは、アメリカの子供たちから日本に贈られた人形のことであり、文部省が窓口となり、人形の配布が行われ、全国の学校に配布されたのだった。しかし日本とアメリカは、次第に険悪な関係となっていき、昭和16年、太平洋戦争へと突入する。青い目の人形は敵国人形として竹ヤリでつつかれたり、殴られたり、焼却処分になったりした。これが「青い目の人形」である。
さて私は夏休みに子供たちと、地域の老人を訪ね歩き「青い目の人形」の存在を確かめた。詳細は割愛するが、面白かったのは、老人たちが思い出せないことを「あの人は当時の学級委員長だからあの人を訪ねると良い。」と昔の学級委員長を指名することだった。その方は某学校のシスターであったが、本当によく覚えていてくれた。あとひとつは「青い目の人形」は本当に当時の人形としてはよくできている物で、これだけの人形を作る技術がある国と戦っても勝てる訳ないよな、ってことだった。
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そうかな。
返信削除以前ある校長にに不満を維持し、怒りをおぼえました。そうしたけれど、どうして自分があるんだろう? How come? お疲れ様です。小生も特疲れです。ふーっ