2014年2月27日木曜日

大雪の影響 ( Vegetables are expensive these days. )

大雪の影響は交通網だけでなく、野菜の値段にも影響を及ぼしているようだ。新聞によると特にホウレンソウの値段が上がり、普段のホウレンソウの倍近くするようだ。私はこういう時に、自分が本当に俗人だと思うのだが、自分の畑にホウレンソウが植わっていると嬉しくなってしまうのだ。
我が家のホウレンソウ。半畳位の広さに植わっている
以前、キャベツの苗を100円で購入して育てたことがあったのだが、収穫をする頃にスーパーで70円で売られていて、ガックリしたことがある。野菜を作ったり、土をいじったりすること自体が楽しいのだから・・・・・と分かっているのだが、やはり値段が高いものが収穫できると嬉しい。
Yさん、Aさん、S君ホウレンソウを安く譲りますよ!!


2014年2月25日火曜日

天国の父への手紙 ( Letter to the father who is in heaven )

泣いたよ。年を取ると涙腺が緩くなるって言うけど・・・そんなことは関係なく、泣いちゃったよ。

去年の今頃のニュースだった。北海道で激しい吹雪の中、父親は娘をかばって覆いかぶさるように、抱いて一夜を過ごした。そして・・・娘は助かり、父親は死亡した。

あのニュースから1年。私はすっかり忘れてしまっていたのだが、新聞で、今年小学校4年生になった娘さんが「応援してくれた全国の皆さまへ」とメッセージを私は読んだのだった。泣いたね。恥ずかしいけど泣いた。


夏音さんの手紙全文
 
 応援してくれた全国のみなさまへ。
 今わたしはとても元気です。毎日、30分位かかる雪道を、友達と二人で学校へ行き、勉強、スポーツと、毎日楽しく学校生活を送っています。学校では、友達とボードゲームをしたりします。
 今育ててもらっているおじさん、おばさんに温泉や旭山動物園に連れて行ってもらいました。動物園ではペンギンのお散歩を見ました。
 昨年の3月、ふぶきでわたしはお父さんと2人、道にまよって気がついたら病院にいました。お父さんがふぶきの中、わたしを守って亡くなったと聞いて、とても悲しくなみだがポロポロ流れました。
 3月22日退院してから、たくさんの人達から、はげましのお手紙がたくさんとどき、おばさんに聞くと、わたしが一人ぼっちになってしまった事をかわいそうに思い、全国のみなさんが応援してくれているのではと言われ、とてもびっくりし、心からうれしく思いました。
 とてもやさしかったお父さんの事も夜ベッドに入ると、ときどき思い出します。わたしを思っていろいろと注意してくれたのに、わたしはあまえて、お父さんの言う事を何も聞かなかったので、お父さんの気持ちもわからないできた事を、「お父さん、ごめんなさい」と思い、なみだがでたりします。
 これからは、おじさん、おばさんの言う事をよく聞き、たくさんの人達からの応援がある事をわすれず、お父さんが遠くから安心して見守ってくれるよう、人を想える大人になれるようがんばります。
 全国のみなさま、わたしはもうだいじょうぶです。ほんとうにありがとうございました。
 岡田夏音

天国のお父さんはきっと目を細めて・・・・私と同じように泣いているよね。

2014年2月24日月曜日

金メダルと金賞  ( Memories of " New Year's writing" . )

もちろん私の字ではない’(笑)
ソチオリンピックが終わり、金メダルが幾つ銀メダルが幾
つ・・・・と騒がしい。金、銀というと思い出すことがある。
私が中学生の頃、私が通う中学校は「書き初め」が冬休みの宿題になっていて、1月の始業式に作品を持って持っていくのが恒例であった。私は字が、特に毛筆は苦手で、今まで字について誉められたことがない。たまに誉められたと思うと「個性的な字だね。」などと本人が傷ついているのに、お構いなしの表現をされることが多い。

中学3年生のその年も、冬休みの最後の日になっても宿題ができてないので、W君に電話をしてW君は「書き初め」の宿題が完成していることを確かめた後、彼の家に行って作品を頂戴した。「とにかくW君、失敗した作品でいいから・・・。」と言って貰ってきて、自分の名前を書いて提出をしたのだった。が・・・・・・・。
翌朝、登校してみて驚いた。私の(正確に言うとW君の作品に私が署名しただけの作品)が銀賞になっていたのだった。W君はと言うと、金賞にも銀賞にも銅(赤)賞にもなっていないのだ。困った。本当に困った。
困った私は、その日の放課後、仲良しのH君と教室の折り紙でピンクだとか茶色だとか、青だとかの紙を作り、他の子の作品に貼って家に帰った。翌日の朝のホームルームの時間、担任のS先生は「誰だ、こんなイタズラをしたのは!!!!」とカンカンになって怒りまくり、犯人の私は職員室の人となった。
「顔も性格も成績も良い君がなぜこんな事をしたんだ・」とたしか(笑)・・・・S先生は言ったと記憶するのだが・・・・、共犯者も、ましてはW君のことは絶対に言うわけには行かず、職員室に正座を1時間させられた。
W君から、今年も年賀状が届いた。毛筆の年賀状、相変わらず達筆だ。
S先生、こんな訳だったのです。S先生、お元気ですか?

2014年2月22日土曜日

佐野昌男著「私のスズメ研究」( Have you ever caught a sparrow? )

近くの図書館に行って本を借りようと新着本のコーナーを見ていたら、児童書ではあるのだが佐野昌男著「私のスズメ研究」と言う本があった。何となくページをめくっていたら左の挿絵があり、挿絵の様子が懐かしく思えて借りることにした。

そうそう、小さい頃、私は挿絵みたいにして、スズメを捕まえようとしたものだった。しかし、何度も何度も失敗をして、この挿絵の通りでは捕まえることは不可能であることが分かった。
まず紐は黒く細い物にしなければスズメは気付いてしまう。また人影が少しでも感じられるとスズメは警戒をするので、身体は家の中に入れてしまうこと、スズメが籠やザル(私は箱に蓋を乗せたが・・・)に入ったかどうかは、小さな鏡を庭側に出して、身体は出さず(スズメからは見えないようにして)外の様子を見ることが大事なのだ。
この方法を失敗の中から編み出してからは、多いときには一度に3匹のスズメを捕ったこともある。

スズメの研究というのは
・スズメの住んでいる場所が人家の側なので、研究をする際に家の人の許可を取ることが必要となり、そのことが面倒なためにスズメを研究対象にする研究者が少ない。
・スズメは、数が多すぎて個体を特定することが大変で、研究を志す若い研究者がいない。
事などが分かった。

・しかし、1匹のスズメの行動圏はわずか110メートルほどであり、本当に狭い範囲でしか活動していないこと
・火山活動で全島避難をした三宅島ではスズメが一時いなくなった事などを
この本で教えてもらった。

2014年2月17日月曜日

オレがマリオ ( Now I am Mario ! )

ふきのとう
「サラダ記念日」も同様だけど、俵万智って歌人は歌集のタイトルが素敵だな。「オレがマリオ」の歌集は、息子と共に島に移り住んだ「今」が歌われている。歌集のタイトルは「『オレが今マリオなんだよ』島に来て子はゲームに触れなくなりぬ」からつけられている。

人は自己の日常を取り戻したいという思いが常にあって、こんな歌にとても感動する。

退職をした年に、友人のN君が他県に居を移したことを年賀状で知った。そして・・・・今年の年賀状には 「ホルンと農業、そして自家製焙煎珈琲の日々も3年目です。シンプルライフ いいもんです。」と書き送ってくれた。

「ニワトリが足下にいる中庭でレモングラスのお茶をいただく。」この歌を歌集から見つけたら、急にN君を思いだした。自然に囲まれた素敵な生活を送っているのだろうな。暖かくなったら自家製焙煎珈琲をご馳走してもらいに行こうかな?

2014年2月14日金曜日

高梨沙羅選手。 ( k point )

高梨沙羅選手の綺麗なジャンプ競技のフォームを見ていて、長野オリンピックの年に、ジャンプ競技について子供と実験をしたことがあり、そのことを思い出した。

長野オリンピック組織委員会に電話をして、お願いをしたら、長野オリンピックのジャンプ台の設計図のコピーを送ってくれた。それを元にして、100分の1の模型を作ってみた。作ってみて分かったのは、K点というのは、着地する面の終点の近くにあり、K点までは斜面、K点からは平面になると言うことだった。
選手の替わりにビー玉を落としてみた。向かい風を送風機で送ったり、落とす位置を変えて助走のスピードをかえたりした。テレビで見ていると飛んでいるイメージが強いが、実験をしてみると、ジャンプ競技は飛ぶのではなくあくまでも落ちていく競技なのだった。
分からないことを、長野オリンピックでも活躍した原田雅彦選手に聞いてみようと、所属会社の「雪印」に電話をしたら、監督が電話の応対をしてくれて「今、原田はヨーロッパ遠征中なので、手紙を書かせます。」と約束をしてくれた。そして、その通りに原田選手から子供宛に手紙が届いた。
原田選手は本当に体重が軽くて、中学生の体重くらいしかなく、体重管理などの節制をしていることが伺われた。また「K点を超えると、平面に着地することになるので斜面に着地するときの何倍ものショックが腰に来ます。また、平面に落ちる恐怖感との闘いでもあります。」と言うことも書いてくれたのだった。
ジャンプ競技は、技術的にメダルに届く選手は限られていて、その中の選手しかメダルに届かない。しかし、その時にその中の誰がメダルを獲得するのかは、その時の風や気温などの「自然」「運」なのだ。
高梨沙羅選手の素直な責任感の強いインタビューを聞いていて、きっとジャンプ競技の神様はいつか「運」を沙羅選手に与えてくれるはずだと、確信した。

2014年2月13日木曜日

鉄屑を集める ( Friend of my childhood )

畑を貸してくれているMさんと話をしていたら、農作物の話からMさんの若い頃の話になり、若い頃、道路を掘り起こす工事をしていたら、地中から水道管が出てきて、当時は鉄屑が高く売れたので、掘り起こして鉄屑屋に売ろうと仲間と結託して水道管にツルハシを入れたらその錆びた水道管が生きていて、水道水が吹き出て大騒ぎになった話を懐かしそうに笑いながら話してくれた。(当時は鉄が貴重であったのだ。)
私にも、鉄屑に関する思い出がある。小学校の低学年の時によく遊んでもらっていたのは、近所の大工の息子Yちゃん(4才上のガキ大将)だった。Yちゃんはある時「遊ぶボールを買うために鉄屑を拾って売りに行こう。」と言いだし、みんなで鉄屑を拾った思い出がある。当時のガキ大将は力だけでなく、知恵もあったのだろう。拾った鉄屑の中から缶を選んで、空き缶の中に石を詰めて重さを誤魔化したりして・・・・・何度か近くの鉄屑屋に集めた鉄屑を売りにいった。ようやくソフトボールを買い、そのボールで草原で遊んだものだ。苦労して買ったボールだったから、遊んで草むらにボールが入ってしまっても暗くなるまでみんなで探したものだ。最近はサッカーが盛んで、ソフトボールはお目にかからないが、サッカーボールが道路に落ちていて、雨に濡れていたりするのを目にすると、物が豊富にあることが本当に幸せなのかと疑問になる。
Yちゃんは大工になってお父さんの跡を継いだ。最近会ってないけど・・・・・お元気かな??

2014年2月10日月曜日

シジミの味噌汁 ( Colour of the shell )

今日の夕飯でシジミの味噌汁を食べた。シジミを見るとS君の顔を思い出す。小学生時代のS君はとても面白い男の子で、家のガレージの両脇いっぱいに水槽があり「北海道にしか住んでいないザリガニ」やら「オレンジ色のザリガニ」やら「食用蛙のオタマジャクシ」やらを飼っていて、挙げ句の果てには机の上に小瓶があるので「これは何??」と聞くと「その中でヒルを飼っています。」と返事を返してきた。

そのS君が「川にすんでいる貝は、シジミもジャンボタニシもカラスガイも全部茶色か黒なんだけど、海に住んでいる貝の色は様々だから、それはなぜなのかを研究したい。」と私に相談してきてくれたのだった。私は「なぜかと言う答えは夏休みだけでは出ないかもしれないし、小学生には難しい。」「世界の国々の川に住んでいる貝も同じように茶色か黒に限られているのかを調べたらどうだろう?」と提案すると、「面白そうだから、やってみたい。」と言ってくれて夏休みに二人で調べたことがあった。
方法は世界の国々にある日本人学校にメールをして返事をいただくという方法だ。びっくりしたのはメールした翌日には地球の反対側のにある国、ペルーの日本人学校の先生からメールが届いたことだ。アラブ首長国連邦からは「S君、信じてもらえないかもしれませんが、この国には川や湖がないのです。砂漠の国ですから・・・・。」という返事もあった。また、わざわざ調べてくれて「やはり日本と同じように茶色と黒でした。でもこの国の人たちは貝を食べる習慣がないから誰もS君のような疑問を持つ人はいません。」といった返事をたくさんいただいた。返事をくださるのは各日本人学校の教員なので、「頑張って!!」とか「研究者に進むといいよ。」とか答えだけでなく励ましの言葉も添えてくださったのだった。

今年もS君から年賀状をいただいた。大学院に進んで研究者への道を歩む。と言うことだった。S君、立派な研究者になってくださいね。

2014年2月7日金曜日

聖護院大根( I feel the complex to people with long names. )

他人はどうでも、私は「伊集院」だとか「綾小路」だとか長い苗字の人に、何となく気後れしてしまうのだ。「佐村河内」なる作曲家に世間が騙されたのも長い苗字がその一因だと、私は信じて疑わない。鈴木だとか斉藤だとかもう少しありふれた苗字だったらこういう結果にまでは至らなかったのではないだろうか。(ちょっと自説に強引すぎるかな(笑)


数年前に、畑を貸してくれているお爺さんが変わった形の大根を収穫しているので聞いてみると「聖護院大根」と言う種類の大根だと教えてくれた。
「聖護院」「聖護院」もう名前で参ってしまい、翌年から作り始めた。

ところがこの「聖護院大根」は名前だけでなく、形はカブを大きくしたようで、見たところはごつい感じがするのだが、食べてみると、とてもみるくて(柔らかくて)美味しいのだ。京野菜の一つで、なかなかスーパーマーケットではお目にかからないし、通常のダイコンと比べると、倍以上の値がする。今年は15本作ったが来年はもう少し多めに作ってみるつもりだ。

2014年2月5日水曜日

彼岸花は今・・・?( Do you know what's going on now? )



写真の緑の葉が何かを知っている人は、案外少ないのではないだろうか。これは彼岸花のなのだ。(写真は我が家の庭にある彼岸花)

彼岸花は、名前の通り、お彼岸の頃に枝も葉も節もない花茎が地上に出て、その先端に花を一つだけ咲かせる。その後、晩秋に線形の細い葉を出す。葉は深緑で冬中は姿が見られるが、翌春になると枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。
彼岸花が咲く時には、みんなよく見るのだが、案外その後は見ていないのではないだろうか。今は、彼岸花の葉が一番よく延びている時期だ。彼岸花は他の植物があまり葉を伸ばさないこの時期に(日光の量としては効率が悪いと思われるが、他の草が生えていないからライバルがいなくて充分に日光を浴びることができる。)葉を伸ばし、春になると、葉が枯れてしまう。そして、またお彼岸の頃になると花を咲かせるのだ。とても面白いサイクルで成長をする。

【ここからは調べたこと】
日本には北海道から沖縄まで見られるが、自生ではなく、中国から帰化した植物だと考えられている。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に混入してきて広まったといわれている。モグラを避けるために有毒な彼岸花をあえて持ち込み、畦や土手に植えたとも考えられている。
人里に生育し、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。日本に存在する彼岸花は全て遺伝的に同一であり、中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。

2014年2月3日月曜日

豆まき ( I got the Mask of the demon. )

節分である。スーパーに行ったら豆まきのコーナーがあり、豆まきに使うお菓子などが売られていた。そのコーナーの装飾に鬼のお面がたくさん飾られていて、とてもかわいいので、丁度通りかかった店員に「あの~その飾られているお面・・・。」と言い掛けると「はい、差し上げますよ。」と心を見透かされたように言われてしまった。(私は「あの~その飾られているお面・・・」の後に「どの商品を買えばそのお面を手に入れることができますか?」と言おうとしていたのだ【嘘ではありません】顔に「そのお面が欲しいなぁ。」と書いてあったのかな。

スーパーでいただいた鬼のお面
炒り豆を使用するのは、年の数だけ炒り豆を食べるからだ(生の豆を食べるのは固いし不味い)とばかり思っていたのだが、節分は旧年の厄災を負って払い捨てられるものである為、撒いた豆から芽が出ては不都合であったためでもあるという。

「鬼は外、福は内」  皆さんのお宅に沢山の福が訪れますように・・・。

「鬼やらい 明日より 春の星あまた」   森 澄雄
明日は立春だ。