今年の「野球殿堂入り」が星野仙一、伊東勤、平松正次の3氏に決まったという報道があった。平松投手にはこんな思い出があり、彼の受賞インタビューを聴きながら思い出していた。
平松投手は岡山東商業のエースとして、甲子園の選抜大会に出場して優勝したピッチャーだ。その時に静岡県からは「静岡高校」が出場していて、平松投手を擁する岡山東商業と対戦しているのだ。私が中学3年生の時だ。
もちろん静岡高校は敗れて、勝ち上がった岡山東商業は選抜大会を優勝で飾るのだが・・・・・。
中学3年生の夏休みのある日、「野球部の先輩のĪさんとHさんが来ている。」と友達が教えてくれた。Ī・Hさんともに憧れの先輩で、二人とも中学生の頃は、野球部の中心選手で静岡高校に進学していた。(特にHさんはバッティング練習で中学校のグランドの端にあったホームベースから、運動場を飛び越え、反対側に建っていた校舎の3階の窓ガラスを割ったという逸話の持ち主だった。)勿論、静岡高校でもレギュラーで、甲子園にも出場している。その先輩が夏休みの練習を(後輩の面倒をみるために)みにきているのだ。私は野球部でもないのに、友だちが野球部に多く、部室に結構自由に出入りしていたので、その先輩とも話が出来た。
私が「平松投手はどうだった??」と聞くと
「見えねえ、球が速すぎて、全く見えない!!」と言っていた。恐ろしいピッチャーもいるものだ・・・・と感心したことを覚えている。「ヒット打ったじゃん!!」と私が言うと「目をつぶって打ったら、たまたま当たっただけだ!!」と言っていた。
平松投手はその後、プロ野球の大洋ホエールズ(今のベィスターズ)に入団して大活躍をした。特に平松投手の投げるシュートボールは「カミソリシュート」と呼ばれ打者に恐れられた。全盛期には右打者が打ちに行くと身体の方に曲がってくるので、バットの付け根に当たり、バットが折れてしまうことが多く、1試合に5、6本のバットをへし折ったといわれている。
すごい記憶力ですね。多分、その時その場所に自分がトータルに存在していたように考えます。小生の記憶力との差異を考えてみます。
返信削除記憶力が良いとはいえず、変なことばかり覚えています(笑)学校の先生の教えてくれた学習内容よりも、無駄話を覚えている類です。
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