最近の気象予報は大袈裟すぎると思うのは私だけでしょうか??最近、気になるのは「かつて経験したことがないような・・・・」と言う様な表現をしていたり、予報を聞いて、それなりの準備(心の)をしているのに大した雨でなかったりすることだ。「あれ!!」ってことが多くて気になっていた。
また、気象予報士の森田正光氏は昨年11月下旬に東京に降った雪を「1872年観測史上初」と発表したことに、気象庁の庁舎移転や雪の観測を目視でなく無人の観測地点では自動観測をしていることなどを例にあげながら、行き過ぎた表現に警告を鳴らしていた。
周りの人に聞いても私と同じように感じている人は多いようだ。
調べてみるとこんな事情があるらしい。
気象の世界には、同じ外れでも「空振り」と「見逃し」があり、空振りというのはは、降水があると予報したにも関わらず、降水がなかった場合で、見逃しとは、降水なしと予報したにも関わらず、降水があった場合の事なのだそうだ。この場合、空振りより見逃しの方がリスクが高い。これは私たち(予報を聞く側)にとっても、予報した気象庁や予報士にとっても同じで、空振りをする方を天気予報は選ぶのだそうだ。空振りだったら口実も作れるし被害もないので、あまり注目されないけど、見逃しとなると、口実もウソに聞こえるし被害もあるからなのだそうだ。
まぁ、確かに空振りだったら、「雨かも・・・」と予報を聞いていて、晴れたら「ラッキー!」ってことになるし、準備した傘も、まぁ杖代わりにでもすればいいだけの事だ。だけどその反対だったら「何だよ、晴れるって言ったじゃないか。」「傘も買わなきゃならないよ!!」ってことになるってわけだ。
しかし、あんまりこういうことが続くと「オオカミ少年」のように予報を信じてもらえなくなってしあうのではないかな??
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