平昌オリンピックが始まった。ジャンプ競技では「高梨沙羅選手」が銅メダルと獲得した。テレビ番組を見ていたら、往年の名選手「原田雅彦」さんが解説をしていた。原田選手にはこんな思い出がある。
長野オリンピックの翌年の夏休み、私は子供とスキーのジャンプ競技の事を夏休みの研究のテーマに選んで実験をしようと思いついた。長野県庁に電話をして、オリンピックで使われた白馬のジャンプ台の設計図を送ってもらえないか頼んでみたら、担当の職員がとても話の分かる人で、白馬村のラージヒルジャンプ台の設計図を送ってくれた。設計図を参考にして、100分の一の模型をベニヤ板で作った。人間の代わりにビー玉を使って、助走スピードを変えたり、送風機で迎え風や追い風を作って模型のジャンプ台から飛ばしたりしていた。
模型を作って分かったことは、ジャンプ競技の選手の降りる所は、公園等にある「滑り台」とよく似ていて、斜面が長くあり、終わりの所が平らになっている。その平らな所は、滑り台では滑ってくるスピードを緩めるためにあるのだが、ジャンプ台では、斜面と平らな面との境目をK点と呼ぶのだ。
だから、K点超えのジャンプは平らな面にドスンと落ちることを意味していて、ビー玉の実験をしてみても、斜面に落ちるのはそのまま転がっていくのだが、K点を超えるとドスンと落ちてビー玉がバウンドするのだ。
私はどんな感覚なのだろうと思って、無理かもしれないと思ったのだが、当時原田選手が所属していた「雪印乳業」に電話を入れてみた。原田選手のマネージャーが電話で対応してくれて、「今はヨーロッパ遠征中だけど、帰ってきたら必ず子供さんに返事を書かせるから手紙をください。」と約束してくれた。しばらくして原田選手から直筆の手紙が届いて「K点を超えるジャンプはそうでない時と比べて数倍のショックの腰に来ます。また恐怖心との戦いでもあります。」という返事をいただいた。
テレビで久しぶりに原田選手を見ることが出来て、その時のことを思い出した。ずっと大切にしていた直筆の手紙・・・・・・どこかに仕舞い忘れてしまったままだ。
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