私の友人・英語に堪能なN君と話をしていたときの事・・N君が「英語がだいたい思うように操れるようになって(英語で物事を考えることができるようになって)本当に良かったと思っている。」というような事を私に言ったことがある。しかし、その「良かった」と言うのは、英語が使えて便利だとか、役にたったとか言うのではないことが、話の前後関係から分かっていたのだが、どういう事なのかよく分からずに・・・・でも気になっていて・・・何度か下書きをしたのだが、文章にできないままでいた。
先日「まどみちお」さんが亡くなられた時に、美智子妃殿下が「ぞうさん」の詩を英訳しているのを見つけて読んだときに、N君の言っていることの一端が分かったような気がした。
美智子妃殿下の「ぞうさん」は以下の通りだ。
ぞうさん " Little elephant "
ぞうさん " Little elephant "
おはなが ながいのね " What a long nose you have "
そうよ " Sure "
かあさんも ながいのよ " It's long so is my mommy's "
あまり深く考えてないということも言えるし、沢山の矛盾があるのだが、私は「ぞうさん」の詩を次のように誤解していたのだ。(2番の詩を知らなかったのも誤解していた原因だが・・・・・・)
動物園かどこかで、象を見た子供が、象って鼻が長いねえ、と母親に言い、母親が「母さん(象)も長いんだよ」と答える、という解釈をしていたのだ。しかし
英語の訳詩を読んでみると、子供の象が「私の母(my mommy's)も長いんだよ。」と言っているのだと言うことが分かる。(美智子妃殿下はそう解釈したのだということも言えなくもないが・・・・私の解釈が正しいのだなどという勇気は全くない。)
その時に、英語で考えてみるというのは、主語を考えたり表現の中身を考えたりすることであり、日本語で考えることと全く違う発想をすることになることに気づいたのだ。N君の言っていることってこういうことなのかな・・・・・と考えたのだ。
先日久しぶりにN君と食事をしながら話す機会があり、N君から「オーストラリアに留学中に同じ日本人の留学生の中に英語で話すときになると、顔つきがまったく変わる人がいた・・・・。」という話を聞き、英語(外国語)を操ることができる人は、自分の中にもう一人の自分がいるようなものなのだという感じがした。
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