スタップ細胞騒動が起きてから
「スタップ細胞はあるんですか?無いんですか?」と言う何とも俗っぽい問いと、「無いと言うことは証明できません。」という禅問答のような答えの応酬を何度聞かされてきたのだろう。
先日の山梨大学若山教授の記者会見でも、あれだけ遺伝子の違いを指摘しながらも「スタップ細胞が無いと言うことは証明できない。」と教授自身が言っていた。
科学の言葉(常識)と社会の言葉(常識)は違うんだなとの思いが私をイライラさせている。
社会一般の言葉で「スタップ細胞はあるのか、無いのか?」と聞いているのに、科学の言語で答えているのだ。
しかし一般社会では、あることを証明して見せなければ(有るのかもしれないけれど)「ない」と思われても仕方がないというのが常識ではないだろうか。
オフレコだったり、仲間内でしゃべったことに案外真実が隠されているような気がする。本当か嘘かは知らないが「兎に角、小保方さんが『ごめんなさい』を言わない限りスタップ細胞がないとは言えないんだよ」という仲間内の言葉が有ったように聞いている。
閑話休題。サッカーは惨敗だったよね。大体最低でも予選突破出来るなんて言っていたマスコミに日本中が踊らされていたんだね。
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