2015年1月14日水曜日

成人の日 ( 20-year-old celebration )

無くなってしまったものは案外気が付かないことが多い。先日ブログに書いた自動車に付けるお飾りもそのうちの一つだと思う。
成人の日が過ぎて「あれ!!サントリーのコマーシャル」って思い出した。(今年はなかったよね)例年、サントリーウィスキーは成人の日に新聞広告を新聞紙面の半分くらいを使って掲載する。ずっとその新聞広告には作家の山口瞳氏が文章を寄せていて、その文章を読むことが成人の日の楽しみの一つだった。いまネットで調べたら昔の山口瞳氏の1984年の成人の日の文章を見つけた。当時の私を含めて山口瞳氏の文に勇気づけられた人は多かったはずだ。

  「青年よ、思いきって行け」
この世で好ましいものの一つが「礼儀正しい青年」だ。反対に、猪口才(ちょこざい)な奴、青二才、嘴(くちばし)の黄色い奴、甘ったれは大嫌いだ。「若者だから、このくらいは許されていい」なんて思っていたら大間違いだ。・・・こう書いてきて、僕なんか、顧みて忸怩(じくじ)たるものがある。
成人式を迎えた諸君!今日から酒が飲める。そこで、僕は、諸君に、「酒の上の失敗を怖れるな」と言いたい。思い切って行け!ガンガン行け!先輩は馬鹿じゃない。諸君の若さを理解してくれるはずである。ただし、それは、その根底に、礼儀正しさと謙虚さがある限りにおいては、という話になる。      山口瞳
                                      

山口瞳氏が亡くなった後は伊集院静氏が後を継いで文章を書いてくれている。去年は「決心しよう。」という文章を寄せていた。

成人おめでとう。今日から大人と言われても実感はないだろう。カレンダーの日付けがかわるように人はかわらない。それでも雪の下のフキノトウのように、オタマジャクシがカエルになるように、生きるということは、或る日、雲が切れて陽光が微笑むようにうかわる。だがそんなまぶしい時は待っていてもやってこない。雪がとけたら葉を伸ばすぞ、いつか水から飛んでみせるぞ、というこころの持ちようが変えてくれる。こころの持ちようとは、覚悟だ。決心だ。そこで提案だ。今日を境に何かひとつ決心し、それを胸の中に刻んで歩きはじめてみないか。何だっていい。やると決めるんだ。君には夢があるだろう。それにむかって進むのもいい。まだなければ夢を探す機会にすればいい。その決心に言っておきたいことがある。その夢は自分だけがしあわせになろうとしていないか。お金を得ることにこだわってないか。
そういうものは卑しいんだ。覚悟とは、品性の上にあるんだ。苦しい時、辛い時にその覚悟と、誰かのために生きようとしたことが救ってくれる。生きるということは必ず、苦いものと悲しいものをともなう。それが人生だ。一日苦しかったな、と思ったら夕暮、一杯のやさしい酒を飲むのもいい。君の春に乾杯。     伊集院静

今年はどうしてないのだろう??

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