「初雪や トンビ転んで 河童の屁」

立川談志と言っても知らない人も多いのだと思うが、当時の落語会に反発し、独自の「落語立川流」を興した人物である。
「芸人100点、人間0点(人格は最低だが芸は最高)」。と評された人で、国会議員も務めたことがある。自他共に認める無鉄砲なまでの冗談・いたずら好きであり、洒落か本気か分からない行動による武勇伝は多い。シニカルでマイペース、一筋縄ではいかないキャラクターの持ち主であった。
晩年には(喉頭がんで死去)戒名を自分で考え「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」としたり、亡くなった時の報道各紙による訃報の見出しは「談志が死んだ」であった。それは談志が「上から読んでも下から読んでも、『談志が死んだ!』と書いてくれ」と言っていたからなのだという。
「立川談志の特集」テレビ番組を見終わったら、私の頭に中で、立川談志が「ぃやだね(彼の得意の言葉)!!俺の国本屋に残したおふざけの俳句を手帳に写している馬鹿な奴がいるんだよ!!!」と頬やあごをなでたり掻いたりするトレードマークのポーズで、私が「国本屋」で色紙の俳句を書き写しているのをあの世から眺めて、言っている姿が浮かんだ。
おそらく色紙を頼まれて「バカ野郎、金を払って(飯を食う)いる人間の方が、金を貰う方の人間になんでサービスして色紙を書かなきゃならねぇんでぇ~!!」って言葉を飲み込んで、このおふざけの様な俳句をわざわざしかめっ面をして書いたんじゃないのかな??
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