2014年10月2日木曜日

青い目の人形 ( Blue-eyed Dolls )

今朝の朝刊に、ダイエーがイオングループに買収されいよいよ「ダイエー」の名前がなくなる事を報じていた。その記事の中で「ダイエー」の創業者「中内功氏」は戦争中に敵のアメリカ兵がガソリン発動機でアイスクリームを作っているのを目撃し、物量の差に愕然とした体験が、後にダイエーグループで天井まで商品を積み上げることの基となった、というエピソードも添えられていた。
ダイエーの創業者「中内功氏」はアイスクリームで米国の物量のすごさを感じたらしいが、私は「青い目の人形」に米国の凄さを感じたことがあった。以前、私は「青い目の人形」が存在する学校に勤務したことがあり、子供たちと夏休みに調べたことがあった。(その人形の名前が分からなかったので名前は何というのかを調べた。)
ちなみに「青い目の人形」とは、昭和2年にアメリカの子どもたちから日本の子どもたちへ贈られてきた「友情人形」のことで、贈られた当時は友情のあかしとして、大切にされてきたが、戦争が激しくなると敵国の人形として、焼かれたり、壊されたりするなど悲しい運命をたどった人形のことで、戦後、全国で残されていた人形が相次いで発見された。(多くの場合、当時の校長が「焼くように・・」と命令を用務員おさんにして、可哀想に思った心優しい用務員さんが大切に自宅に持ち帰って保存していた・・・・、というようなエピソードが付け加えられていることが多い。全国的に決まったように同じようなストーリーであって、私は眉唾モノだと感じているが・・・。)
調べてみて面白かったのは、当時を知るお爺さんやお婆さんを訪ねて、当時の様子や名前を聞くのだが、みんな記憶がなく(置いてあった場所はみんな覚えていたが、人形の名前は覚えていなかった。)しかし、多くの人が「××さんが級長(今の学級委員長)だったから××さんに聞いてこらん。}と答えたことだった。そして××さんを探しあてて、お聞きして名前を特定することができたのだった。私が米国のすごさを感じたのは、名前のヒントが人形や人形の着ている服にないのかを、人形の服を脱がせて見たときのこと。私は戦後生まれであるが昭和2年にもうアメリカでは人形にセルロイドではなくて、ゴムのような素材であり、体が起きているときには目が開いていて、人形を寝かせると目を閉じるような仕組みになっているし、ミルクを飲ませるとおしっこが出るような仕組みもあるのだ。それが戦前の人形なのだから・・・・・戦争したって勝てるわけないよな・・・・。


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