三内丸山遺跡。行ってみたい史跡の一つだった。私たちが歴史を教えてもらった頃と「縄文時代」のイメージが変わってきている。私たちが教えてもらったのは「縄文時代は狩猟に頼った生活だったから苦しく辛い時代であったが、弥生時代に入り農耕を覚え生活は安定していった・・・。」だいたいこんな風に教えてもらったのではなかったか???そんな縄文時代のイメージを変えていった大きな発見の一つが三内丸山遺跡であったのではないだろうか??
明らかに計画的に植えられた栗などの木があり、色々な動物や魚の骨が残り、豊かな食生活が想像された。オシャレにも気遣っているような生活ぶりの博物館で確かめることが出来た。また大きな住居跡が残り、復元された住居の大きなこと!!!その頃の技法の素晴らしさにもただただ驚くしかなかった。生活にも精神的にも豊かな縄文の人たちが想像できた。
ところどころにプレハブ小屋のような建物が建ち、プレハブの中は温度や湿度を保たれ、発掘の状態のまま展示されていた。三内丸山遺跡は駐車場も入場料金もかからないのにも驚いた。
私は個人的に「どうしてこんな寒い地方に住み着いたのか?」と疑問に思っていたのだが、その頃の青森は今よりずっと暖かかったようだ。
いいなあ、私も三内丸山遺跡へぜひ行きたいと思っていました。四年前に北海道へ行き観光客ズレした悪印象を持ったのですが、津軽海峡を渡って青森県に入ったら、地元の人たちの地味で、生活に根ざした印象と好対照でした。以来、行くなら青森、東北と決めていたのです。また国家形態がつくられる前の縄文時代には現在もとても関心があります。この点は哲学者の中沢新一も強調しているようです。
返信削除昔、「縄文の時代は貧しかったのか??」をテーマに学校中の先生(校長・教頭・社会科主任、研修主任・・・)に集まってもらい、討論してもらいました。貧しくなかったという証拠を子供たちに私が前もって用意させておいたのです。ほとんどの先生方は昔の縄文➡貧しい 弥生➡豊かになった・・・という固まった意識でした。子供たちと討論をして、その発言をテープにとり原稿に起こして市の研究論文に応募したことがありました。結構いい成績をもらったよ(笑)
返信削除岡本太郎も縄文式土器に日本人のエネルギーや魅力を感じていたらしいね。