2014年3月31日月曜日

ぞうさん ( Jekyll and Hyde )



私の友人・英語に堪能なN君と話をしていたときの事・・N君が「英語がだいたい思うように操れるようになって(英語で物事を考えることができるようになって)本当に良かったと思っている。」というような事を私に言ったことがある。しかし、その「良かった」と言うのは、英語が使えて便利だとか、役にたったとか言うのではないことが、話の前後関係から分かっていたのだが、どういう事なのかよく分からずに・・・・でも気になっていて・・・何度か下書きをしたのだが、文章にできないままでいた。

先日「まどみちお」さんが亡くなられた時に、美智子妃殿下が「ぞうさん」の詩を英訳しているのを見つけて読んだときに、N君の言っていることの一端が分かったような気がした。
美智子妃殿下の「ぞうさん」は以下の通りだ。

ぞうさん                                                                " Little elephant "
ぞうさん                                                                " Little elephant "
おはなが ながいのね                                        " What  a  long  nose  you  have "
そうよ                                                                    " Sure "
かあさんも ながいのよ                                       " It's  long  so  is  my  mommy's "


あまり深く考えてないということも言えるし、沢山の矛盾があるのだが、私は「ぞうさん」の詩を次のように誤解していたのだ。(2番の詩を知らなかったのも誤解していた原因だが・・・・・・)
動物園かどこかで、象を見た子供が、象って鼻が長いねえ、と母親に言い、母親が「母さん(象)も長いんだよ」と答える、という解釈をしていたのだ。しかし
英語の訳詩を読んでみると、子供の象が「私の母(my  mommy's)も長いんだよ。」と言っているのだと言うことが分かる。(美智子妃殿下はそう解釈したのだということも言えなくもないが・・・・私の解釈が正しいのだなどという勇気は全くない。)
その時に、英語で考えてみるというのは、主語を考えたり表現の中身を考えたりすることであり、日本語で考えることと全く違う発想をすることになることに気づいたのだ。N君の言っていることってこういうことなのかな・・・・・と考えたのだ。

先日久しぶりにN君と食事をしながら話す機会があり、N君から「オーストラリアに留学中に同じ日本人の留学生の中に英語で話すときになると、顔つきがまったく変わる人がいた・・・・。」という話を聞き、英語(外国語)を操ることができる人は、自分の中にもう一人の自分がいるようなものなのだという感じがした。

2014年3月22日土曜日

春眠暁を覚えず( It becomes very sleepy in the spring. )


今日は朝眠かった。春だからかな?などと自分に言い訳をしてみる。朝、目は覚めているんだけど、色々な理由を付けたりして布団からなかなか出ることができない。また春はそうしているのが気持ちがいい。
今朝は、布団の中で、漢詩の「春眠暁を覚えず」をおもいだした。

中学3年生の国語の時間だった。(思い出したMさんとB先生は中学3年生の同級生と国語の担任だ)

春眠不覺曉(春眠暁を覚えず)     【春の寝覚めのうつつで聞けば】
處處聞啼鳥(処処啼鳥を聞く)     【鳥の鳴く音で目が覚めました】
夜来風雨聲(夜来風雨の声)      【夜の嵐に雨混じり】
花落知多少(花落つること知る多少)       【散った木の花いかほどばかり】
(   )は読み下し文 【   】は井伏鱒二の訳詩より

私がこの授業をよく覚えているのは、B先生がMさんが詩吟を習っていることを知っていて、国語の授業の最後に「Mさん、一緒に吟じよう。」と呼びかけ、Mさんと(一緒と言っても一人ずつであった)この漢詩を吟じてくれたのだ。朗々とした歌声が教室に響き、とても感動をしたことを覚えている。


  

2014年3月21日金曜日

3月 弥生 ( "March" is called "YAYOI" in Japanese.)

私は、整理整頓は昔から本当にダメな人間で・・・・、3月「弥生」の語源について植物の本から知ったことを、3月に入ったらすぐにブログに書こうと、机の上にメモを書いて置いてあったのだが、机の上が整頓できて無く、そのメモが埋まった状態のままであった。メモを元に書きたかったことは次のような事である。
ゆすら梅が今年も咲いた
「いやが上にも盛り上がる・・・・。」と言う様な使い方をする言葉、この「いやが上にも」というのは
「嫌になる」の「嫌」ではなく、漢字の「弥」の字を当てるのだという。物事がだんだん重なる、だんだんと高まる様子を表す言葉なのだという。高まっているところに、さらにその上に、というのが「いやが上にも」ということになる。

3月の古い呼び方「弥生」は「いやおい」が変化してできた言葉で、草木がますます生い茂る事だと言われているのだそうだ。だから草木がますます生い茂る3月に「弥生」の名前があるのだろう。また、ここからは想像だが、弥生の言葉で有名な「弥生式土器」は東京都文京区弥生町で発見されたからこの名前があることを日本史の授業で習ったのだが、きっと弥生町は草が沢山茂っている場所だったからこの名前が町名になったのかもしれない。
この記事、3月の初旬に書きたかったな・・・!!

2014年3月19日水曜日

さようなら ( "SAYOUNARA" is called "Goodbye" in English. )

今日は、卒業式の学校が多かったみたいだ。私の家の側の学校でも卒業式が行われていた。また用事で出かけた先でも和服を着た保護者の姿を沢山見かけた。(珍しいな。紋付き袴姿の小学生の男の子も見かけた。)卒業式、終了式、離任式・・・3月は「さようなら」の季節だ。

ところで、「さようなら」という言葉は「左様ならば」つまり、「そういうことであるならば。」本当はお別れしたくはないのだけれど、どうしてもそうならなければいけないのであるならば・・・・・と言うのが語源であると言うことを最近知った。

日本語は奥が深い(おっと!!前回のブログと同じ言葉が締めになってしまう)日本語は美しい!!

2014年3月18日火曜日

カブトムシ ( Small beetle is stronger than large beetle. )

今朝、NHKの朝の番組(ニュース)を観ていて、スッキリしたことがある。ずっと不思議に思っていたことが解決したのだ。
不思議に思っていたこと・・・・それはこんな事だ。キャンプに行って、朝照明灯の下に行くと前夜に光に集まってきたカブトムシが落ちている。しかし、ほとんどのカブトムシが頭だけ残っていて腹から下が無くなっている。腹から下を食べられてしまったのだ。まだ足が痙攣するように動いていたりする。これはカラスの仕業で・・・・カラスは朝、明るくなると(夜は鳥目で見えないから)照明灯の下にカブトムシが落ちていることを知っていて、食べにくる。そしてカブトムシを見つけると柔らかな腹の部分だけを食べて、キャンプの人が来る前に逃げるのだ。不思議に思っていたのは、食べられているのが雄♂のカブトムシに限られていたことであった。その時は勝手に「雄♂の方が美味しいのかな?」と思っていたのだが・・・・。
今日のテレビで、東京大学の研究グループが調べたら、雄♂のカブトムシのしかも角の大きい個体ほどカラスなどに食べられてしまうことが、ビデオの解析や死んだ個体を調べて分かったというのだ。さらに、大きな角のカブトムシはカブトムシ同士では、戦い抜くために有利に働くのだが、目立ってしまい他の動物の被害に遭うことが多いと言うことが分かったのだそうだ。
動物の世界はなかなか奥が深い。

2014年3月15日土曜日

菜の花 ( Spring flowers are in full bloom now. )

散歩の途中で見つけた菜の花
今朝は暖かで、久しぶりに散歩に出かけたら、菜の花が咲いていた。まだ家のそばだったので、カメラを取りに戻って、シャッターを押した。春は黄色い花が多い。何となく心が浮き立つような気がする。
菜の花を見ていたら、将棋の米長邦雄名人を思い出した。何度も何度も将棋の名人位に挑戦しては破れた末に、ようやく名人位を獲得した米長氏は「菜の花は トウが立ってから 花が咲く。」と色紙に書いたという話を聞いたことがある
たしか・・・・・明日は将棋のNHK杯の決勝戦だが、米長氏の大盤解説は本当に楽しくて、解説が楽しみでテレビの前に座った記憶がある。ああいう華のある棋士がいなくなったね。

2014年3月14日金曜日

大根の収穫 ( I just harvested it ! )

大根は春になると、葉っぱを切って丸坊主にすることが多い。葉をそのままに放置しておくと、花が咲いてきてしまい、皮が固くなったり芯ができてしまったりする(薹が立つ)からだ。

だから今の大根畑には葉っぱのない、白い大根がニョキニョキ植わっている変な景色が広がっていることになる。

我が家の大根畑も同じなのだが、我が家の大根畑の中に、とにかくでかい大根がある。寝ころんでしまっていて、何とも悩ましいような風情にも・・・また見方によっては「人魚」みたいにも見えないわけではないのだが・・・・。先日、これを見た人が「トドみたいだ。」と言ったので、以来、この大根は「トド大根」という名前にした。

さて、このトド大根。収穫する日を楽しみにしていたのだが、不格好だから他人に差し上げるわけにも行かないので、我が家で食べることにした。
この「トド様」。収穫したのだが重い!!!重さを量ろうとしたのだが、調理用のスケールでは針を振り切ってしまうので、人間の体重計を使って量った。なんと重さは5.8㎏もあったのだ。自分の作った大根の新記録である。

2014年3月11日火曜日

一閑張り ( Today, I made ​​a plate of handmade. )



完成した一閑張り

ここ数年、骨董市に行くと和紙でできた「大黒帳」(大福帳)を買っている人が多く見受けられ「紙に字が書いてあるだけの大福帳のいったい何がいいのだろう?」と不思議に思っていたのだが、聞いてみると「一閑張り」を作る時に「大黒帳」の和紙を使うために購入しているのだと言うことがわかった。同じ骨董市で飴色に変色した「一閑張り」の入れ物がよく売られていたのだが、素敵だなと思っていても、高価で買うことができないでいた。

それが、ひょんな事から近所のKさんに教えてもらえることになった。一閑張りとは竹籠(たけかご)に和紙を貼って、その上から柿渋を塗った物をいい、農閑期の閑な時期に作られることが多かった為にこの名が付いたと言われているらしい。また、一閑和尚が始めたからその名を取って一閑張りと呼ばれるようになったと言う説もあるようだ。また、一閑張りは柿渋で非常に強くなるので、重い物を入れても大丈夫な為、重さの一貫目にも耐えられるということから、一貫張りと呼ばれるようになったという説もあるようだ。

竹籠に糊で和紙を小さく切ったものを張り合わせて行く。4~5cmx10~12cm
  • 和紙を張り終わったら、墨で好みの文字や絵柄を描いたり、書いた物を張り合わせていく。と左のような物が完成する。完成したら、2~3日乾燥させてから、いよいよ柿渋を刷毛で塗るのだが、初めて経験して、柿渋がすごいにおいだと言うことが分かった。外で仕事をしないと・・・・・大変なことになる。一番上の写真が完成品だ。どうしても購入を希望する人がいれば・・・・・・・・。

2014年3月10日月曜日

フィルムカメラ ( Which do you like film camera or digital camera?)

新聞に「フィルムカメラ」の売れ行きがとても良いと言う記事が載っていた。

フィルムカメラは、フォルムを買い、現像代を支払い・・・・しかも写真を撮った後の行程はカメラ屋さん任せで・・・デジタルカメラが手に入った時には、なんと便利な物ができたのか、と感激をした。そして私はもうすっかりデジタルカメラ党なのだが・・・・。

フィルムと言えば、以前こんな面白い事があった。

仕事を通じてある老人と知り合いになり、その老人がデジタルカメラを新調したのだが、分からないことがあるので、自宅に来て教えて欲しい・・・・と言ってきた。さっそく仕事帰りに老人の自宅に寄ったのであるが、老人の部屋に案内されて机を見て腰を抜かすほどびっくりした。机の前に「スマートメディア」が何枚も(20枚以上はあった)並べて置いてあるのだ。
その老人は「スマートメディア」をフィルムのような物(その通りではあるのだが・・・・)だと思い、スマートメディアの容量がなくなると新品を買ってきているのだった。
パソコンも置いてあるので「パソコンの中に撮った写真のデータを取り込んで、スマートメディアを繰り返し使えばいいのに・・・」と言うと「あ~そんな便利な使い方があるのか!!!」とびっくりしていた。(こちらの方がびっくりだったけれど)
カメラもスマートメディアも某カメラ店で購入しているみたいだったけれど、何度も老人がスマートメディアを買いに来ていたら、「変だな」と思って声をかけてあげたらいいのに・・・と思った。

2014年3月6日木曜日

英語の訳 ( English title )

今日は啓蟄の日だ。

実は去年の今日・・・・「啓蟄の日」にもブログをアップしていて、その時に「啓蟄」というタイトルに副題をつけた。こんな英文だった。

「season when insects come out from the earth」

何となく日本語の啓蟄よりもこの英語の方が「啓蟄」の意味が通じるのでないのかな?と思ったのがきっけけで、それ以来無理をして英語の副題をつけている。多くの場合は、タイトルを訳すことなく、内容を自分の英語力に合わせて表現しているのだ。また困って、英語に堪能なN君にメールで助けを求めたりしながら・・・なんとか続けてきている。

今日、美智子妃殿下が「まどみちお」の「あり」という詩を訳詩しているのをネットで見つけた。


アリ                         An Ant

アリを見ると                 Watching an ant
アリに たいして               I often feel
なんとなく                    Like voicing an apology
もうしわけ ありません           Toward this little being
みたいなことに なる
いのちの 大きさは              Life is lefe to any creature
だれだって                   Big or small
おんなじなのに                The difference is only
こっちは そのいれものだけが       In the size of its container
こんなに               And mine happens to be so ridiculously,
ばかでっかくって・・・             Enormously big.


2014年3月5日水曜日

読書のすすめ ( Let's read a lot of books. )

【 話題 1 】
先日、お向かいに住んでいる単身赴任中のご主人が帰って来ていた。いつもは車で帰ってくるのに、車がないので「どうしました?」と聞いてみると、雪で通れないところがあり・・・・・、電車を乗り継いで帰ってきたとのこと。
「でも、びっくりしましたよ。電車が発車すると同時に・・・一斉に、本当に一斉に高校生はスマホなんですね~。」とのこと。

 
【 話題 2 】
先日の新聞に載っていた統計。全国大学生活協同組合連合会の調査によると、一日の読書時間が0つまり、本を全く読まない大学生が4割を超えた。・・・・

 
【 話題 3 】
世相を切り取る、新聞の小さなコラム「uso放送」の傑作より

   「”本離れ続く”ホンよりフォン」   -電話好き

   先駆者ながら歩き-二宮金次郎   スマホどの

若者が本を読まない様になってきている。って何度も言われてきた。自分の周りを見てもその通りの傾向が見える。

「本を読んで、何かいいことがあるのかい?」と言われると上手く答えられないけど・・・若いときは本を沢山読むといいと思うな。

2014年3月1日土曜日

まどみちおさん ( Madomichio died at 104 years old. )

まどみちおさんが亡くなられたというニュースを新聞で知った。104歳なのだそうだ。「ぞうさん」の歌は、日本人なら誰でも一度は歌ったり、耳にしたことがある歌ではないだろうか。
「ぞうさん」

ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ


ぞうさん
ぞうさん
だあれが すきなの
あのね
かあさんが すきなのよ



ニュース記事を読んでいたら「一年生になったら」の作詞もまどみちおさんの作なのだ。驚いた。

また、その新聞で知った。まどみちおさんは、若い頃軍隊で、上官から友達と二人で「気合いを入れる」と殴られたことがあった。休憩時間に気落ちして座っている友達(近藤和一さん)の帽子に縫い取られたカタカナの名前を逆から読んでしまう。「ちいずかうどんこ」(チーズかうどん粉)おかしくて笑った。本当は泣きたい所なのに・・・・・・・・・・。このエピソード好きだな。小さな楽しいことや美しい物を穏やかな目で見て、表現した詩人なんだね。