2014年12月31日水曜日

白菜漬け ( History of Chinese cabbage. )

白菜漬けが食べれるようになった。今年も美味しい!!(去年のブログに書いたように、美味しい「白菜漬け」を作るには白菜の重さの3%の食塩を入れると良い。この3%と言うのは海の水の食塩濃度と一致する。人間も海から発生した生物の子孫であることが理由なのだと思う!!)
ところで前回のブログで「白菜」は英語で” Chinese cabbage”というのだと言うことを知った。直訳すると中国キャベツって訳だから・・・・中国から来たのかな??なんて思いつつネットで調べた。(以下調べたことを書いてみる、勿論私の知識ではない←自慢できることではないよね。)

白菜の原産地は他のアブラナ科の野菜類と同じく、ヨーロッパの北東部からトルコ にかけての地域であろうといわれている。中央アジアを経由して中国に伝わり、中国で改良され、 11世紀頃今のようなハクサイになったと言われている。一方、ヨーロッパに残ったものは、キャベツになったと言われている。
 
日本に渡ってきたのは明治8年(1875)、東京で開かれた博覧会に中国(当時の清)からの出品という形でお目見えし、その後、日清戦争・日露戦争に従軍した日本の農村出身の兵士たちが、中国大陸で白菜を食べ、種を持ち帰ったのが、全国に広まるきっかけとなったと言われている。
ところが栽培は成功しても、その白菜から種を採って植えても白菜は出来ないという問題が発生した。しかし原因が分からず、大正時代になっても白菜の種子を中国から輸入するしかなかった。  
白菜の種子が採れなかった原因は、「白菜」がアブラナや小松菜・野沢菜やカブと同じ仲間の植物であり、日本に以前からあったアブラナやカブの花粉が、ミツバチや蝶を介して白菜と交じり合ってしまい白菜にならなかったということが20年以上かかって分かった。 
宮城県で白菜の研究をされていた沼倉吉兵衛さんと言う方が、媒介となるミツバチは海を渡れないことに気付き、松島湾にある離島で、他のアブラナ科の植物を全部排除した上で、白菜を栽培すれば、自然交雑が防げて優秀な品種が作りだせるのではないかと考え、「馬放島」で日本で初めて交雑していない種子の生産に成功したのだ。・・・・そうです。今日は大晦日。みなさん良いお年をお迎えください。

2014年12月27日土曜日

白菜 ( Chinese cabbage growth. )

白菜が大きくなって、収穫の真っ最中だ。思い起こしてみると9月上旬、まだまだ暑い頃に種まきをした。白菜の種は袋に「60日白菜」とか「90日白菜」とか書いてあって、収穫までに60日とか90日かかる品種だという目安だと思うのだが、全く当てにはならない。「60日白菜」のはずの我が家の白菜だって、もう120日近く経っているのだから・・・・。今年は200本くらいの白菜の苗を育ててその中の100本位を定植して自分の畑で育てた。
毎年、畑を貸してくれているお爺さんにも苗を貰っていただいて、育てて貰う。今年も30本くらいの苗を育てて貰ったのだが、私の方が早く定植するから、しばらくの間は、私の白菜の方が大きいのだがその内に抜かれてしまって、最近では、もうお爺さんの育てている白菜の方が2周りくらい大きい。そのことを伝えると「ナァニ!!欲目だよ。」「人の物はよく見えるだよ。」とお爺さんは言うのだが、測ってみてもやっぱり大きい。適切な時期に適切な管理をするからだろう。同じ物を育てている時には密かにライバル心を燃やして頑張ってみるのだが、どんなことをしてもお爺さんの方が大きく立派な野菜を収穫する(笑)

2014年12月24日水曜日

クリスマス ( We wish you a Merry Christmas. )  

クリスマスになると、思い出すことがある。それは小さな子どもたちと過ごした寮でのクリスマスのパーティーでのこと。

パーティーの冒頭、挨拶があり「また長い話かよ・・」といつもの様に早く終わらないかな~・・・と思っていた。でも素敵な話で、今でもよく覚えている。こんな内容の話だった。
「北半球で一番昼が短く、そして夜が長くなるのが冬至の日です。冬に向け次第に短くなってきた昼が、この日を境にまた長くなっていきます。一年で一番長い日の夜を、昔の人たちは楽しく過ごすために「クリスマス」を用意しました。皆さん今日は楽しく過ごしましょう。勢いの弱まってきた太陽が今日の冬至を境に再び力を取り戻し、光りが蘇るのです。また明日から頑張って過ごしていきましょう。」そんな内容だった。ろうそくの光の中でYさんが話してくれた。いまでも新鮮に思い出すことが出来る。なんてどうして私のブログは小難しい話になるのかね~!!!

お口直しに「あわてん坊のサンタクロース」の歌を

あわてんぼうの サンタクロース  クリスマス前に やってきた
いそいで リンリンリン  いそいで リンリンリン
ならしておくれよかねを リンリンリンリンリンリンリンリンリン

あわてんぼうの サンタクロース  えんとつのぞいて おっこちた
あいたた ドンドンドン  あいたた ドンドンドン
まっくろくろけのおかお  ドンドンドンドンドンドンドンドンドン

あわてんぼうの サンタクロース  しかたがないから おどったよ
たのしく チャチャチャ  たのしく チャチャチャ
みんなもおどろよぼくとチャチャチャチャチャチャチャチャチャ

あわてんぼうの サンタクロース  もいちどくるよと かえってく
さよなら シャラランラン  さよなら シャラランラン
タンブリンならしてきえた シャラランランシャラランランシャラランラン

あわてんぼうの サンタクロース
ゆかいなおひげの おじいさん
リンリンリン チャチャチャ
ドンドンドン シャラランラン
わすれちゃだめだよ おもちゃ
シャラランリン チャチャチャ ドンシャララン

2014年12月23日火曜日

パクチーの種 ( I have collected the seeds of coriander. )

今年は、春にベトナム料理を食べる機会があり、そこでとても美味しくパクチーを頂いた。聞いてみると栽培は難しくないとのこと、さっそく苗を育ててみた。本当に雑草みたいなもので栽培は難しくないし、プランターでも簡単に育てることが出来た。そのパクチーが、10月になったらなんと蕾が出てきたのでそのまま処分しないで花を咲かせて種を採ってみることにした。
花はとても可愛い白い花だった。(写真上)昨日詳しい方に聞いたら「花も食べると美しい。」とのこと。来年は挑戦してみたいと思っている。さて10月に咲いた花もようやく種を結んで、昨日種採りをした。たくさんの種を採ることが出来た。

来年は自分の採った種で苗を作り育てる楽しみが増えた。


2014年12月20日土曜日

スタップ騒動 ”STAP cells exist.” she said!!

とうとうスタップ細胞騒動に一応の終止符がうたれた。私の予想通りだったからどちらでもいいのだけど、スタップ細胞問題について何度もブログに書いているので、最後のつもりで書こうと思った。
理研の会見はまたも科学用語のオンパレードで理解不能なことが多かったけど、一般常識や社会全般の理解では「スタップ細胞はあるかどうかこれからの課題だが(ひょっとしたら将来、本物の科学者が現れ、スタップ細胞を作ることが出来るかもしれない)小保方氏が発表した方法ではスタップ細胞を作ることは出来ない。」ということではないだろうか?

そんな事より、また変な奴・・・・って言われそうだけど、私は小保方氏以外で検証実験に参加した人たちは、蛍光色に光る細胞の出現を期待しながら実験に加わったのか、「もういい加減にしてほしい。」とスタップ細胞の出現を期待しないで実験に加わったのか科学者の心の内を知りたいと思った。

2014年12月18日木曜日

心温まる話 (It is a nice story.)

今朝は寒かった!!!!。朝起きて畑を見ると真っ白。前の道路は端のほうだけが白くなっているから、雪と言うより「風花」が舞ったのかな??(風花➡他の地域で降った雪が風によって運ばれること。)今朝は起きたらすぐに済ませておきたいことがあった。
それは昨日の事。ガソリンを入れて、(最近そのガソリンスタンドはセルフになった)
器械から出てくるおつりを取り忘れてしまったのだ(らしいのだ)。確かではないのだが、丁度その分(2000円)だけ足りないのだ。財布やポケットを何度も確認したけれど、やっぱりない。(次の客もいただろうし、勘違いかもしれないし・・・・・)と思いながらもレシートをもってガソリンスタンドに行って話をすると調べてくれて、2000円のおつり取り忘れがあり、レシートの時刻と合致しているので・・・・と返してくれたのだ。半分は諦めていたのでとても嬉しく、また心が温まる気持ちだった。

2000円を返してもらって家に帰る時は、嬉しくて心が温まり身体も心なしか暖かく感じた・・・・と文章をまとめたい所だが、やっぱり今朝は寒く震えながら家に帰った。

2014年12月16日火曜日

卒啄同時 ( Join their peaky. )

 
もう一つのチャボの思い出を書いてみたい。チャボの卵が雛に孵るまでには21日間かかる。(鶏も同じだと思う。が小鳥は少し早いみたいだし、猛禽類はもっとかかるらしい。)だから小さな頃の私は21日目になると、ソワソワして親鳥を小屋から外に出しては、産卵場所(そこで卵を温める)にある卵を確認したものだった。

21日目を迎えた卵は、最初に中央にポツンと穴が開き、そして中から「ピヨピヨ」と鳴き声が聞こえてくる。幼い頃の私は(今も成長していないが)待ちきれなくて、卵の殻を割ったりして、失敗することが多かった。雛は卵の中央に穴をあけた後、卵の内部で身体を一周しながら目の前の殻を破っていき、卵を半分に割って出てくるのだ。

よく「卒啄同時」(そったくどうじ)と言う言葉を聞く。禅の言葉で「卒啄同時」は、卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がコツコツとつつくことを「卒」といい、ちょうどその時、親鳥が外から殻をコツコツとつつくのを「啄」と言う。雛鳥が内側からつつく「卒」と親鳥が外側からつつく「啄」とによって殻が破れて中から雛鳥が出てくるというのだが、まったくそんなことはなく、ヒナ鳥は自分だけの力で卵の殻を破って出てくるのだ。何度も雛の孵る場面をみて自信をもって断言することが出来る。確かに親鳥が卵を突くのを見たことはあるが、それは「何だ??これは??」という好奇心で卵を突いているのであって、ヒナ鳥を助けて卵を割ってあげているのではないように思えた。鶏は器械(孵卵器)で大量に生産されているのだから、「卒啄同時」がなくても孵るはずなのだ。
と・・・・ここまで書いて、つくづく自分は「世間ではこう言われていることは、実はこうなんだ。」と言うことを見つけるのだ大好きな人間なのだな~と改めて思った。へそ曲がりなんだね(笑)

2014年12月13日土曜日

ちゃぼの思い出 ( Memories of the young days )

前回チャボのことを書いた。昔飼ったことがある「桂ちゃぼ」の写真を見ていたらその頃のことを思い出した。思い出はたくさんあるのだが、あまり知られてないことを中心に書いてみようと思う。
喧嘩をする軍鶏
チャボは見たところはニワトリとそっくりで、ウサギほどの大きさの(ニワトリを小さくしたような感じ)鶏なのだが、卵を孵すのが得意で、自分の卵に限らず他の種類の鶏の卵も暖めて雛を孵すことが出来る特技の持ち主なのだ。チャボが自分の卵を暖め始めたら、こっそり他の種類の卵を入れてしまう。チャボは数を数えることが出来ないから「あれ、卵が増えたぞ」なんて疑問に思わないし、卵の大小にも無頓着で他の種類の鶏の卵も構わずに暖めてしまうと言うわけだ。
私はその頃知り合いから貰った「軍鶏(シャモ)」の卵を抱かせたことがある。軍鶏は闘鶏に使われる気が荒い鶏でしばらく飼っていたのだが、ヒヨコの頃から仲間同士で喧嘩ばかりしていた。
またある時は、アヒルの卵を抱かせたこともあった。こちらは卵から孵ったら大きな声で「ガーガー」と鳴くのでビックリした様子だったし、庭に放すと、池にアヒルの子は飛び込むので、チャボはビックリして(自分の子どもだと思っているから)「コーコッコ」「コーコッコッコ」と池の周りを鳴きながら回って大騒ぎをしていた。可哀想になってイタズラ坊主の私も結構反省をした。

2014年12月11日木曜日

おすとめす( Male and female )

ブログを書いたり、文章を書いたりすることが自分にとって何か良いことがあるのかなって思ったりするけど、時々「この字で良いのかな?」って迷ったりして調べてみると面白い発見をすることがある。

実は(自分の無知をさらけ出すようであるが・・)「おす」と「めす」を私はその時の気分で「雄」と「雌」と書いたり「牡」と「牝」と書いたりしていて、深く考えることがなかったのだが、調べてみると面白いことがわかった。

雄と雌の漢字の“つくり”である「隹」(ふるとり)は、名前の通り「とり」を意味している。特ににわとりとかアヒル・うずらなど、空を飛べない鳥を意味しているのだという。だから「雌雄」は鳥類の「おす、めす」に対して使い、「牡・牝」は漢字の中に「牛」の字があることからわかるように元々は「おうし」と「めうし」を意味し、そこから哺乳類(特にひずめのある動物)に使われることが多いのだという。私は全くその時の気分で使っていたので、参考になった。これから気をつけて使いたい。

ところで、ネットで探した写真の「ちゃぼ」は昔私が小学校3年生から中学の2年生まで飼育していた「ちゃぼ」にそっくりなのだ。このタイプの「ちゃぼ」は「桂ちゃぼ」(かつらちゃぼ)と呼ばれ、しっぽだけ黒い「ちゃぼ」なのだ。私は一番多い時で20羽以上のちゃぼを飼育していたことがある。中学2年生の時に犬を飼うようになり(ダックスフント)元々猟犬であるダックスフントは鳥を追い回してしまうので、仕方なく「ちゃぼ」を手放すことになったのだった。

2014年12月9日火曜日

雑草を取る。( It is a very tough job. )

時々、畑の仕事って(ひょっとしたら農業って)雑草を抜く仕事がほとんどなのではないかと思ったりする。苗は弱いのに、雑草は本当に強い。

私はズボラなのだが、 畑を貸してくれているお爺さんはマメで、本当に良く雑草取りをしている。(草を刈る道具の鎌を使って、雑草を根から取るのだが芸術的ですらある。)「もう少し大きくなってから抜いたら楽じゃないの?」と私が揶揄しながら言うと「百姓が雑草を生やしていたら笑われちゃうわ!!」とカラカラと笑う。


何か自分が笑われてるような気分になって今日は玉ねぎの所に生えてしまった雑草を抜いた。面倒な作業なのだが雑草だらけの畑が(写真上)雑草が全くなくなってしまうと(写真下)とても気持ちがいい。

鶴岡千代子さんの詩を
    
せっかく 花を さかせても
せっかく 葉っぱを ひろげても
ふりむいていく 人はない
それでも  平気さ  みんなして
 むんむん草むら  つくってく
どんなに のどが かわいても
どんなに ほこりを かぶっても
水など くれる 人はない
それでも 平気さ 上むいて
のびたいほうだい のびていく
オオバコ ハコベ ヒメジョオン  ちゃんと名前がついてても
よびかけてくる人はない それでも平気さ いつだって きらきらしながら 生きていく


 

2014年12月5日金曜日

はやぶさⅡ ( Please come back safely. )

小惑星探査機「はやぶさ2」の打ち上げに成功したというニュースに接した。前回の「はやぶさ」の時から無生物の器械なのに何となく生きているもののような感じがしてくるのは私だけではないらしい。皇后陛下の歌に「その帰路に己を焼きし「はやぶさ」の光輝かに明かるかりしと」というのがあることを今朝の新聞で知った。なんとなく、無事に戻ってきてね・・・・、と生き物に言うように声にしたくなる。戻ってくるのは2020年の暮れなのだそうだ。東京オリンピックの後らしい。

ところで、「はやぶさ」と言うと、私には忘れられない思い出がある。もう10年くらい前になるのか、当時飼っていた柴犬を連れて散歩に行った時のこと。空から「はやぶさ」が舞い降りてきて私の近くに落ちた。何かの原因で飛ぶことが困難になっていたのだ。私は捕まえて、すぐに近くにあった「肥料袋」に入れ、一旦自宅に戻った。(犬が興奮して噛み付いたりすると困るので)そして、現場に戻って肥料袋を開けて「はやぶさ」を掴んで外に出そうとしたら、鋭い爪で手を掴まれ、親指と人差し指の間の薄い部分ではあるが、はやぶさの爪が貫通してしまったのだ。「はやぶさ」の指は鍵のように曲がり全く動かない。よくテレビなどの映像などで小動物が猛禽類の鳥に掴まれて身動きのできない場面を目にするが、本当に握力が半端でないほど強く、小動物が動けない理由がよくわかった。本当に全く動かせないし、手を動かそうとするとグッと力を入れて掴んでくるのだ。
このはやぶさは紆余曲折の末、地元の警察を通して近くの動物園に送られた。その「はやぶさ」とはその後にも縁があって、2・3年して用事で動物園に行った時に、獣医さんに「はやぶさ」の話をしたら、その「はやぶさ」ならまだ動物園にいますよ。と言われ再会した。(飛ぶことができないので放鳥できないらしい)
「鶴の恩返し」ならぬ「はやぶさの恩返し」が我が家に届かないのは、この動物園から出られないからなんだと言って、獣医さんと大笑いをした。

2014年12月3日水曜日

ご自由にお持ちください(Can you understand which country is this?)

旅行の途中にサービスエリアに寄った時のこと。お寿司を買って、店員さんに「お醤油とガリはありますか?」というと「勿論ありますよ。」といってレジ袋の中に入れてくれた。そして「すみませんね~、『ご自由にどうぞ』なんて書いておくと××国の観光客なんてみんな持ってっちゃう!!」とお怒りの様子。なるほど、彼の国か・・・・、最近観光客が増えているもんなぁ~、店員さんの気持ちが実感として伝わってくる。

ところで、××国ってどこの国か分かるかな??Yさん、Aさん、MちゃんそれとS君。正解の人には・・・・野菜詰め合わせセットをプレゼントしよう。(問題が簡単すぎるね)

ところで、サービスエリアから駐車場に戻りながらグリーベルト(芝生などが植えてあるエリア)をみて驚いた。近道になるようにグリーベルト内に(本来は歩行禁止区域)道が出来ているのだ。(写真)みんな道路なんて歩かずに自分の車の置いてある駐車区域に最短距離で歩いていくんだね。
不謹慎ながら、高村光太郎作  「道程」

僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ父よ僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため

を思い出した。
でもこうして活字にしてみると、不謹慎な人達が作った道跡のこととは違うよね(笑)

2014年12月1日月曜日

今日から12月 ( It is December from today. )

今日から12月だ。花札の札は「桐」だ。桐の花は12月には咲かないのに・・・・。12月は1年の最後の月なので「これっきり」からとって「桐」にしたのだという。

私の以前住んでいた家の裏には桐ダンスの職人「カズさん」が住んでいて「桐ダンス」を作っていた。小さな頃には飽きずに仕事ぶりを見ていた。よく覚えているのは、「カズさん」はボンドを使わずにご飯粒を練って接着剤を作ったことだ。
またよく「桐ダンスは、引き出しを閉じると他の引き出しが飛び出てくる。」と言ってその気密性を自慢して見せてくれた。桐の木は湿気や割れや狂いの少ない木として有名だ。またとても軽い木材なので箪笥の材料として最適で、昔の人は、女の子が生まれると桐を庭に植え、その子が結婚する時にその桐で箪笥を作り嫁入り道具にするという風習があった。
私が中学校の2年生の時に、技術家庭の授業で椅子を作った。時数が足りず、残った部分は夏休みの宿題となった。家で作っていたのだが、臍(ほぞ)の部分が上手くいかないので、「カズさん」の仕事場に持っていって教えて貰おうとしたら、最初は教えながら作ってくれていたのだが、そのうちにどんどんと自分で仕事を進めてしまい、全くタンス職人の作った凄い出来映えの椅子が完成してしまった。2学期になって提出すると、技術家庭のK先生はニヤニヤ笑っていた。恥ずかしい思い出だ。

また12月を師走ともいう。師=御師→お寺や神社などへ参拝しに来る人々のことで、12月は大晦日や初詣などがあり御師が一番忙しい時期なため(御師)が走りまわるという意味で師走という説がある。また師=お坊さんという説もあり、こちらは年末になるとお坊さんが家に来てお経をあげるそういったことで12月はお坊さんにとってはお盆のように忙しい時期なので、師走というと言う説もあるらしい。師=学校の先生で年末になると日頃落ち着いている学校の先生も忙しく走り回る月だという説もあるそうだ。いずれにしても忙しい月になりそうだ。