2017年9月28日木曜日

苗の植え時 ( Please plant the vegetables before rainy days. )

私は以前、職場の花壇の管理を係として受け持ったことがあり、その時にM氏にたくさんの事を教えていただいた。教えていただいたことの中に「苗を定植するなら、2週間待ってでも雨の前に植えろ!!!」というのがある。M氏曰く「雨ほどの水をジョロで苗にかけることは絶対にできない。」「定植した苗はたくさんの水を欲しがるから、雨が降るのを待って(雨の前日に)定植をすると良い。」というものだ。
昨日は昼間は晴れていて、夜から雨が降るという予報だったので、たくさんの苗を定植した。

降りすぎるほどの雨が降ったので、苗はしっかりと定着してくれたようだ。(写真は白菜の苗)

2017年9月26日火曜日

そうじ ( I am preparing to make vegetables. ) 

夏野菜がいよいよ終わり、いろいろな野菜の棚を片付けたり、土を掘り起こして次の冬野菜の準備をしたりしている。一番大きなゴーヤの棚は、つるや葉っぱなどがゴミ袋に4杯にもなった。まだまだゴーヤの実がなるのだが、もう食べ飽きた感じがしてきた。またこの場所は早く空けて、急いで白菜を植えなければならない。上の写真は棚を片付ける前、下の写真は棚を片付けた後に、同じ場所から写真を撮ってみた。棚の向こうにかくれていた自動車が見えるようになった(笑)

2017年9月23日土曜日

季節外れの発芽 ( It's out of season. )

ゴーヤ(ニガウリ)の種がこぼれて発芽してきてしまった。(上の写真)本当は春になったら発芽するべきなのに、秋は春の気候と似ているから、発芽してきてしまうわけだ。「ふっせ」だと言えばふっせなのだけど、どちらかと言うと困った発芽だということができる。これから秋→冬になるのだからある程度までしか成長することが出来ない。間違って発芽してしまったわけだ。

これから書くことは一度紹介したことがあるのだが、季節外れの発芽を見ると思い出す。私の知り合いSさんの子供との夏休みの研究の事だ。Sさんは、5年生の理科の「植物の発芽」授業で子供からこんな質問をされたのだという。「先生は発芽は温度と水分が必要で、光は必要ないと教えてくれましたが、その2つの条件(温度と水分)が十分にあるスイカは何故発芽してこないのですか?」Sさんは答えられなかったのだそうだ。(ひょっとしたら知識が豊富なSさんだから、知っていたのかもしれないが・・・。)「夏休みに一緒に調べてみないかい?」と答えたのだそうだ。
それからこんな実験をしたのだそうだ。シャーレに綿花を敷き、水を染み込ませてスイカの種を置く。するとすぐに発芽するのだそうだ。しかしその水の中にスイカの果汁を混ぜると、発芽してこないのだそうだ。つまり、スイカの果汁が発芽を阻止しているらしいのだ。さらにどうやら阻止しているのは果汁に含まれる糖分らしいことも突き止めたのだそうだ。だからスイカ(ゴーヤ)は塾した果汁が発芽するのを遅らせて秋に発芽をさせないようにコントロールしているわけだ。私の畑で発芽してしまったゴーヤな果汁が剥がれてしまったのだろう?

この研究の顛末は、子供が疑問を持ち、解決に向かって知恵を絞り、推理小説のように問題を解決する。まるで一編の小説のようだ・・・・と思っていて、このストーリーは大好きだ。Sさん、また飲みたいね。

2017年9月22日金曜日

ふっせ  ( Plants that grow naturally )

「ふっせ」という言葉を御存知だろうか??念のため、久しぶりに「広辞苑」でひいてみた。「落ちこぼれた種から成長した草木」とある。昔、職場の花壇の担当をしていた時に、一緒に仕事をしてくれていた先輩のMさんが「足りない花はこの場所に毎年『ふっせ』でトレニアが出てくるから、それを植えたらいいよ。」と言ったのだった。私は「ふっせ」などと言う言葉は聞いたこともなく・・・でも聞き返したり、意味が分からない態度をとるのが恥ずかしいような気持になり、また文脈からこの場所に何かが生えてくるんだな・・、と理解してその場を過ごした。しかし何度か同じ言葉を聞き、意味を知ることになったのだが、昨日久しぶりに畑の爺が「ふっせでトマトみたいな芽が出てきた。」と話をしてくれて、久しぶりに「ふっせ」と言う言葉に出会った。

 漢字で書けば「風生」と書くらしく、 風で運ばれて生えた植物の事を言うのが語源らしい。たくさんの種からかなりきつい環境の中で生えてきた物なので、育てたものよりも良い苗のことが多いのだ。
下の写真は畑にふっせで生えてきた「トウガラシ(鷹の爪)」の芽だ。

2017年9月21日木曜日

彼岸 ( Heat and cold lasts until this week. )

「暑さ寒さも彼岸まで」とか・・・。朝散歩に行くと、彼岸花が咲いている。翌日にカメラを持っていき写真を撮ってきた。他の花に無いけばけばしいような深紅の色がとてもまぶしい。彼岸花と言うと何となく縁起が悪いとか、不吉な花だとかというイメージがある。どうやら、畑のあぜ道や土手に並ぶように咲いているのは、畑にモグラが侵入しないよう
に農家の人が植えたらしい。(彼岸花の球根は毒があるから、モグラが侵入できない。)
同じ理由で(小動物の悪さを防ぐ目的で)昔は「土葬」(遺体を焼かずに埋葬する。)の文化の残った地域では土葬した周りに「彼岸花」を植えたことから、不吉な「花」のイメージが定着してしまったようだ。
写真の白い彼岸花は数年前に近所で見つけ、庭に植えて増やしたものだ。

話は変わるのだが・・・・。彼岸に「おはぎ」を仏さまに供える。テレビで、秋に咲く「萩」の花の形に「おはぎ」が似ているから「おはぎ」を言うのだという事を放送していたら、家人が「秋に『萩』が咲くころに作った物を「おはぎ」と称し、『牡丹』の咲くころに作った物を「ぼたもち」というのだ。」と断言していた。どちらも初耳だ。

2017年9月18日月曜日

350個 ( I harvested 350 cucumbers. )

8月5日にキュウリを180本(2本の苗から)収穫した旨、ブログにアップした。その時に友人のN君が「凄いね、プロはだしです。」と書き込みをしてくれたのだが、アップしたその日からまた40日くらい経ったのだろうか?今日、キュウリの棚を片付けた。結局、収穫したキュウリは350個だった。
しかし、最近収穫できるキュウリは上の写真みたいなチビキュウリばかりだ。(水分が足りないのか、植物の老化に伴ってこんなキュウリしか収穫できなくなってしまうのか?)
8月5日にブログ書いた農家の人は1本の苗から180本のキュウリを収穫するのだそうだが、農家の人はこんなキュウリでは売り物にならないのだから・・・・・私の350本は2本の苗から獲れた本数なので1本にすると175本となるのだが、比べ物にはならない。でも4月から今まで頑張ってくれたな!!お疲れ様!!

2017年9月16日土曜日

台風対策 ( I moved the plant under the car. )

一昨年、畑に玉ねぎの種をまいた時のこと。発芽した玉ねぎの苗を保護するために寒冷紗(黒い日よけ用のレースみたいな布のこと)をかけておいたのだが、台風の風にあおられた寒冷紗が発芽したばかりの芽を叩き、苗を痛めてしまった事があった。
それから、私はなるべく苗は園芸用のポットに植えて、台風の時には避難させるようにしている。今朝も台風が近づいている旨の報道があるので、雨が降らないうちに早起きをして、車の下に苗を移動させた。これで一安心だ。

2017年9月14日木曜日

枝垂れ朝顔 ( I collected the seeds of the plant. )

いつか同じことを書いたことがあると思って、過去のブログを調べているのだが見つからない。まぁ同じことを書いてしまってもいいや!!と開き直って書こうと思う。

今日、栽培していた朝顔の花の盛りが過ぎたので、種取りをした。この朝顔は29年前に(平成元年という覚えやすい年に苗を頂いた。)近所の方からいただいた苗をずっと種取りをして、毎年咲かせてを繰り返している。こんなに飽きっぽい性格の私にしては珍しい。
他のアサガオに比べて、花は小さめだけど、ピンクの花に白い色が中心に入ってとても可愛らしい。また、他のアサガオに比べて枝分かれが激しいために、支柱をしなければ、下に垂れ下がって枝垂れて咲くのだ。ことしのNHKの趣味の園芸でも講師の方が「枝垂れ朝顔」を今年注目の品種とか・・・言って紹介していた。
ことしも、3人の人に苗を分けて差し上げたのだが、先日、その中の一人の人が「種を取りましたよ。」と連絡をくれた。

小さなタッパーウェアにいれて、保管した。また来年!!!!

2017年9月12日火曜日

昆虫は痛さを感じない? ( Is that true? )

昨日、久しぶりにセミを見た。そう言えばいつの間にかセミの鳴き声から秋のスズムシやコオロギの鳴き声に代わってきている。今年は近くに住むY君とT君とセミ取りをたくさんした。

昔の遊びを思い出して、セミに糸を結んでしばり、せみを飛ばしてリモコン飛行機みたいにして遊ばせてあげたらとても喜んでくれた。この夏のシーズンを通じてY君もT君もセミを怖がらなくなった。そう言えば、セミに糸を結んで遊んでいたら、セミの首が取れてしまったことがあった。T君がびっくりしたような顔をして「首が取れちゃったよ!!」と訴えてきた。まずいところを見せてしまったな??と申し訳ない方な気持ちになった。


先日(私は知らなったのだが・・・)昆虫は痛さを感じないということが小説の中に書かれていて驚いた。そう思って思い出してみるとカマキリの雄は交尾中に雌カマキリに頭から食べられてしまうのだが、交尾をやめることはない。またセミが鳴いている最中に足が取れてもセミは鳴いたままだ。

それからしばらく調べているのだが「昆虫が痛さを感じているという確かな証拠はまだ無い。」というのが正確なことのようだ。学者の間では痛さを感じていないと考えている学者の方が多いのだそうだ。私のように昆虫に残酷なことばかりして大きくなった人間は是非感じないであってほしいと思っているのだが・・・。

2017年9月10日日曜日

針と糸 ( Needle and thread )

私が借りている畑にはタモが置いてあって、一応所有者は私なのだが・・・・・誰でもモンシロチョウや害虫が来たらこのタモで捕まえる。このタモの網の部分は消耗品なので、毎年100円ショップで買ってくる「洗濯用ネット」を取り換える。太い針金でできた枠に洗濯ネットを縫い付けるのだが、今までは、細い針金を糸のように巻き付けて洗濯ネットを太い針金の枠に固定していた。しかし細い針金を丁度切らしていたので、針と糸でネットを取り付けようとしたのだが、適当な針がないことに気づいた。洋裁用の針ではあまりにも細いのだ。どちらか言うと畳の針くらい太い針が欲しいのだ。しばらく迷ったのだが、丁度手元に歯間ブラシがあったので、歯間ブラシを使って針を作った。(写真上)太めの糸を通して、洗濯ネットを針金の枠に取り付けることができた。

その時に、いつか冒険家同士(一人は関野吉晴氏だった)の対談をEテレで観た時に「究極のサバイバル用品」は「針と糸である。」・・・・・という話をしていたことを思い出した。その出演者はお互いに「あ~そうか!!」とすぐに得心していたのだが、私は納得できなくていた。針と糸があれば、その場所に住む動物を捕らえて服を作ることが出来る。そうすれば何とか生き延びることが出来ると言う話だった。

2017年9月7日木曜日

子供乗ってます ( I misunderstood it. )

どれくらい前からなのだろう??車の後ろのガラスに「Baby in car」というステッカーを貼ってある車をよく見かけるようになった。

単純な私は、子供を乗せて運転しているのか!!少し気を付けて運転してあげよう。などと考えてその車に対して、少し慎重な態度で運転してあげるようにしている。

先日、本を読んでいたら勿論私が考えている様な意味も含まれているのだとは思うのだが、もともとはどこかの国で(外国)で母親が交通事故で重体となってしまい、数日後、意識が回復した時に「私の子供は??」と聞いて、同乗者がいたことに気づかなかった関係者が事故車両を再点検したところ、壊れた後部座席に挟まれ死亡している子供を発見した。この事故を教訓にうまれたのがこの「Baby in car」のステッカーなのだという。交通事故の時に、運転者に代わって同乗者の有無を知らせるためのステッカーなのだというのだ。知らなかった!!

2017年9月4日月曜日

冬瓜 ( It's so big. )

以前我が家のリフォームをしてくださった大工のOさんが、3年ほど前に日曜農園で作った「冬瓜」をくださった。調理して食べたのだが、その時に種を畑にばら撒いておいたら、翌春発芽した。それから毎年冬瓜を収穫することが出来ている。
今年も収穫の時期を迎えた。今年は例年にないほどでかい!!!!

冬瓜は、本当に丈夫で手間がかからない。数年前に畑のM爺が「今年は冬瓜に何も水を与えなくても育つかどうか実験をしてみる。」と言っていたが、問題なく収穫することが出来ていた。今年も食べた時に種を取っておいて、畑にばら撒いておくつもりだ。

2017年9月2日土曜日

外来生物 ( non-native species )

上の写真のラクダ。いつか「クレマチスの丘」という植物園に出掛けた時に土産物店のレジの後ろの棚に置いてあった。「売り物ですか?」と聞くと「ええ・・・・。」とあまり気のない返事。どうやら売れ残った物のようだ。しかし、私は気に入ったので譲ってもらった。今は我が家の玄関で、お客様にご挨拶をしている。

さて、ラクダはどこに住んでいる動物なのか??と聞かれたら私たちは何と答えるのだろう?そんな書き出しの本を読んだ。多くの人は西アジアや北アフリカ、中近東の砂漠の多い地域に生息したり飼育されている・・、と答えるのではないだろうか。勿論私もそんな答えを予想しながら本を読み進めたのだが・・・・(勿論その答えは正解ではあるのだが・・)その答えは「今」という限定の答えであるというのがその本の書き出しであった。ラクダは過去においてはもっと多くの世界の地域くに生息していた時代があったのだそうだ。そこから「外来生物」と「在来生物」の問題を分かりやすく説明してくれてあった。
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読みながら一般的に言って、わたしたちは、愛らしくて我々に厄介をかけない動物や植物が好きで、生息数が減少している生き物に何となく味方してしまう傾向にあるのだな~と反省をした。