2015年3月27日金曜日

大根 ( It looks like a body. )

写真のような大根が収穫できた。「できた」という表現はよろしくなくて、「こんな大根が出来てしまった。」というのが正しい表現なのだと思うのだが、商売で作っているのではないので思わす笑ってしまったり、人に見せたりしている。
ブログにまで載せる必要はないように思うのだが、見に来られない人の中に喜びそうな人がいる(笑)

2015年3月24日火曜日

花三題 ( Three storys of flower. )

庭のボケ(木瓜)が、咲き始めた。毎年本当に忘れずに良く咲いてくれる。(あんまり手を入れてないのにね!!)
果実が瓜(ウリ)に似ていて、木になる瓜だから木瓜と言われているらしい。

わが家に、この木瓜が来たのは忘れもしない息子が高校3年生の時であった。珍しく「母さんプレゼント!!」と鉢植えの「木瓜」の花を渡し、母親をいたく感激させてのであったが・・・・・・、「母さんだけにボケにしたよ!!」という素晴らしい落ちが用意されていたのだった!!!
この木瓜が咲くたびにその日の事を思い出す。



苗を買ったり、種を買ったりしないで自然に生える、しかも綺麗な花があったなら・・・誰しもが考えるそんな夢のような花があるのだ。それが「ビオラ」だ。パンジーの仲間でパンジーよりも花が小さい物をさす。(品種的にはパンジーで良いのだが、園芸的には花の大きさが5センチ以上の物をパンジー、5センチ以下の物をビオラと呼んでいる。)でもそれ以上に違うのはパンジーはこぼれた種から次の年に発芽することはないのに対して、ビオラはこぼれた種から発芽して、次の年も楽しませてくれるのだ。今年も私の家のあちこちでビオラが咲き始めた。ちなみにパンジーの語源は、フランス語パンセからきていて、フランス語のパンセは「物思う」「考える」。「人間は考える葦である」という名言を残した哲学者パスカルの「パンセ」がすぐに思い浮かぶと思う。パンジーがつぼみの時に何かをじっと考えるように下を向いているかららしい。また、ビオラの花言葉は「物思い」「少女の恋」「私の胸はあなたのことでいっぱいです」「私を想ってください」「私を忘れないで」。こちらも物思いにふける少女のイメージだ。

庭に咲き始めた春の花。春の花と言ったら何といってもチューリップかな??我が家の鉢植え(プランター)のチューリップも咲き始めた。ネットで調べたら、チューリップの歌に2番も3番もあることを知った。


さいた さいた チューリップのはなが  ならんだ ならんだ
あか しろ きいろ  どのはな みても きれいだな

ゆれる ゆれる チューリップのはなが  かぜにゆれて
にこにこ わらう  どのはな みても かわいいな

かぜに ゆれる チューリップのはなに  とぶよ とぶよ
ちょうちょが とぶよ  ちょうちょと はなと あそんでる

2015年3月22日日曜日

白鵬優勝 ( Congratulations! ! )

大相撲3月場所が終わった。予想通り横綱白鵬が優勝だ。(照乃富士の頑張りで盛り上がった)実は、私は1月に「相撲 ( My opinion about Sumo )」というブログを書いた。http://denden69mushi.blogspot.jp/2015_01_01_archive.htmlのであるが、最近私ととてもよく似ている意見を書いている本に出会った。

藤原新也という人が書いた本なのだが、その相撲に関する部分を紹介する。(藤原氏の実家は旅館を営んでいて、幼少期その旅館に地方巡業に来た力士が宿泊をしていた思い出を書いているのである。)

所要で青森に行った。北国の雪景色を見ていると、ふと青森県弘前市出身の先代若乃花のことが頭を過った。私の家の旅館は子供の頃巡業の力士が泊まった。巡業では花籠部屋を割り当てられていた関係で先代の若乃花も泊まった。若の海や髭の行司式守伊之助などとは親交もあった。若乃花がその頃、幕内のどの位にあったかは記憶にないが、彼に関してはある鮮烈な思い出がある。老松公園で行われた巡業の稽古土俵で他の力士と稽古している時に、相手から張り手を食らわされ、若乃花の歯が折れたのである。
昔は巡業の稽古でも手加減はせず、ずいぶん激しかった。歯の折れた若乃花はその一番を終えると土俵際に行って口に含んだままの折れた歯を血糊と一緒に樽の中に吐き出した。そしてまた何事もなかったように次の一番挑んだ。私は呆然とその光景を見ていた。平成時代のお坊ちゃん相撲では考えられない光景ではある。それより驚いたことはその翌日、土俵上で張り手を食らわした力士が他の力士と一緒に私の旅館にやって来て、若乃花らと同じ鍋のちゃんこをつつき、楽しそうに歓談していたということである。子供の私の目には激しい喧嘩をしたかに見えたその両者がまるで兄弟のようにふるまっていることが不思議でならなかった。青森の雪景色を見ながらそんな思いでが甦り、それとともに少し前の大相撲の八百長騒ぎに思いが及ぶ。この大騒ぎ、昔から大相撲に馴染み、毎年のごとく巡業を迎え入れていた私のような者の目からするなら、大相撲をあたかも詐欺集団のように見なす平成と言う時代のマスコミや大衆意識に時代の流れというものを感じざるをえない。

私は大相撲とは純粋な意味のスポーツではないと思っている。かつて貧しい時代の地方の農家の次男坊などがしばしば大相撲に入門したが、それは同じ命運を持つ者同士が寄り集まった新たな村社会でもあった。彼らは運命共同体として相撲協会会長の元に結束し、興行を行い、娯楽の少ない時代の民衆を大いに楽しませたのである。そんな大相撲の巡業は子供の私の目に、同じようにのぼりを立てて興行を行う地方巡業の大衆演劇と同じように映っていた。演劇的とまではいかないがそういった含みを大相撲は持っていたように思うのである。地方巡業では必ず出てくるショッキリや手拍子や「ア、ドスコイ」「ドスコイ」という合いの手の入る相撲甚句などはまさに「芸能」そのものであった。相撲甚句の七五調の囃子歌には男女関係のくすぐったい歌や人を笑わせるような社会風刺もあった。大相撲の真骨頂は本場所ではなく地方場所にこそあったのだ。そこでは真剣勝負は百番あれば数番程度だった。それでも充分面白かった。みな演技力を発揮したからだ。相撲とはそういうスポーツなのである。そんな私の相撲に対する経験からするとこういう運命共同体の中で人情や人間関係の按配が生まれないのが不思議であり、逆にその按配によってこそ共同体は維持されていたのではないかとさえ思う。そして昔の観客もそういった意識をも加味して大相撲を楽しんでいた。いまでも思い出すのだが、私の家と親交のあった男前の若の海がある場所に七勝七敗で千秋楽を迎えた時、相手の力士はなかなかの演技力を発揮して若の海に星をひとつ貸した。私の母は負けてくれた相手側力士を「やっぱり優しい男やった。」と讃えたものである。按配相撲もあったが当然真剣勝負もあった。真剣勝負もあれば人情の絡んだ按配相撲もあった。それを見越して昔の観客は大相撲を楽しんでいたということだ。そこには人間世界の矛盾を許す寛容や人間的なふくらみというものがあった。
大金の絡んだ平成の大相撲と、星の貸し借りと言う昔のそれを同列に比べることは出来ないかもしれないが、大相撲の不幸はフェアプレー精神や勝つか負けるかの勝敗のみが価値を決定づける近代スポーツ観がこの日本に定着し、その一視点からしかスポーツ観戦できなくなってしまった平成の民の心の狭量さとも無関係では無いように思われる。

私が以前書いた記事ととてもよく似ている。でも藤原新也という人が書いた文章はとても説得力があって「成る程」と思わせてくれる。

2015年3月20日金曜日

卒業式 ( Congratulations on your graduation ! )

卒業式のシーズン。今日は近くの小学校も卒業式みたいだ。御両親と一緒登校する子供たちの姿が眩しい。最近はお父さんの出席も多いみたいだ。

つい最近、親戚の子供の卒園式での話を聞いた。受け持ちの先生が最後の挨拶をする時に感極まって涙ぐみ、言葉に詰まってしまった時に、悪戯坊主の子供が「あ~先生ウソ泣きしてる!!」と言って、教室が笑いに包まれたそうだ。良い話だな!!と思った。きっといつも明るく元気な先生が泣いているのが信じられなかったのだろう。受け持ちの先生は「みんな大好きだよ。」と涙をこらえながらお別れの言葉を言ってくださったそうだ。

今朝、家の庭に山桜が咲いているのに気付いた。卒業式、桜・・・春だね!!

2015年3月19日木曜日

キャベツの植え付け ( I planted a cabbage. )

キャベツを植えた。本当は今頃に収穫出来たら「春キャベツ」で美味しいんだけど・・・・。今植えると5月の下旬すぎに収穫することになると思う。いずれにしても楽しみだ。
キャベツと言うと、何年か前にNHKで「高冷地農業」の特集をしている番組をテレビで見る機会があり、キャベツ農家を特集していた。若い農家の青年たちが「40回消毒していた今までの農法を20回に減らす。」という取り組みを放映していたのだった。私は「減ったところで20回も消毒するんだ・・。」ととても驚いた記憶がある。私は全くの無農薬というのは、無理だと思っている。(キャベツの傍にずっといることが出来るのなら可能だけど・・・・)私の場合は、虫を見つけて(多くの場合はキャベツの葉が虫によって穴あき状態になってから・・・)から消毒をしている。苗を植え付けてから、収穫までに大体4~5回消毒をすることが多い。
今はまだ、虫も出てきていないので安心なのだが、今は鳥が葉を食べに来ている。上の写真の苗の上にある糸は鳥よけのために設置してある。

2015年3月15日日曜日

ジャパンの監督(Director of national football team has changed in Mr.Hariruhojitchi)

サッカーのジャパン監督が替わった。今度はハリルホジッチ氏、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の監督だ。自身、選手時代には旧ユーゴスラビアの代表にも選ばれる活躍を見せ、前回のブラジルワールドカップではアルジェリア代表監督としてチームを初の16強に導いた。そして、 決勝トーナメントでは、優勝したドイツを相手に0-0で延長戦にもつれ込む接戦を演じた事などでも有名である。ここまで、ニュースなどで得た情報である。

サッカーは門外漢であるが、ハリル監督には是非選手を固定しないで、新たな目でみて選手の選抜や起用をして欲しいと思っている。今まではジャパンに招集されても試合に出られない選手ばかりのように思う。たくさんの選手の適正や欠点を見極めて、新しいジャパンの姿が見たいと思っている。サッカーに限らず日本の選手が頑張っている姿を見るのは本当に勇気を貰うような気がする。
実際に先日読んだ本にこんな事が書いてあった。
「ワールドカップの試合でテレビ中継を見ていて、負けたチームのファンが自殺をした」というニュース報道をよく目にする。しかし統計を取ってみると、ワールドカップのある月(6月)は自殺者が減っていることが統計的に分かっている。ドイツ代表はいつも、大きな大会に出場し、しかも人口が多いので統計価値が高いのであるが、1991~1997年には9万人のもの自殺者がいる。多い月は3月~6月だったが、ドイツ代表が大きな大会を戦っていた1992年、1994年、1996年の6月は減っていることが分かっている。サッカーの代表チームは国民に生きる勇気を与えているのだ。

2015年3月12日木曜日

飲酒と喫煙 ( Which is not good for body, drinking or smoking ? )

「心に狂いが生じる時」(岩波明著)を読んでいる。その中に「アルコール依存症」で苦しむ女性の例を挙げている箇所がある。彼女は第二子を出産後、体重を戻そうと「ダイエット」に取り組むのだが、だんだん憂鬱な気分が続くようになり、寝付きが悪くなりアルコールを飲むことが増え、やがてアルコール依存症になっていくのだ。食事をとろうとしないために体重が減り、身体の肝臓はじめ多くの臓器がダメージを受けるだけでなく、精神的にも幻視、幻聴などの精神的な禁断症状も出てくるようになってしまう。読んでいくと次のような文章にいきあたった。

「厚生労働省をはじめとする行政機関もジャーナリズムもタバコの害には過敏であるが、アルコールには不思議なほど寛容である。タバコにはCMの制限やパッケージに危険性の表示が義務付けられているが、アルコールに関してはその種類にかかわらずあらゆる広告や宣伝が世にあふれている。しかしアルコールの害はタバコと同様に、あるいはそれよりはるかに深刻であることを認識すべきである。タバコは精神面での悪影響はほとんどなく、むしろ高齢者では認知機能を高めるという報告もある。もちろん積極的に喫煙を勧めるつもりはないが、飲酒がその人の身体的健康を損なうだけでなく、様々な精神症状を出現させ、本人の心身を打ち砕くばかりでなく、周囲の家族にも長年にわたる心労を課すことを考えれば、受動喫煙の問題などはみられるもののタバコの害など取るに足らないものに思えてくる。」「飲酒は穏やかな自殺である。」

筆者が精神科の医者であることを考え合わせても、確かに禁煙運動ってヒステリックだと思うし、お酒については健康に良いと言う説すらあるくらいだ。少し・・・・お酒の量を減らそうかな!!!と思った次第。ついでに言っておきます。上の写真は私ではありません(笑)

2015年3月9日月曜日

転ばぬ先の杖 ( Prevention is better than cure. )

「転ばぬ先の杖」を英訳すると ”Prevention is better than cure. ” となることをネットで検索して知った。そのまま拝借して副タイトルとしたのだが、直訳すると 「予防することは治療するよりも良い」となる。「転ばぬ先の杖」を「予防は治療よりもベターだ」と言い換える術が素晴らしいなぁ。英訳ってある意味、日本語訳でもあるんだね~!!N君!!!英語の能力の高い人は英語が・・・と言うより語学の力が高いんだね。

さて親戚の人が洗濯機が壊れてしまったというのだ。脱水になると洗濯機が止まってしまうらしい。毎日必要なので親戚の家の洗濯機を借りたりして間に合わせているとのこと。直せたら直して欲しいと言われて、親戚の家を尋ねたついでに見せて貰うことにした。繰り返し洗濯機を運転してみると、確かに「洗い」の時には動いているのに、洗いが終了して「脱水」に移行するとモーターが止まって「停止」のメッセージが表示される。何度行っても同じだ。停止した洗濯機を開けて中を見ると水が溜まっていて、排水が出来ていないことに気付いた。排水は電気と関係なく行われることであるから・・・・と考えて排水溝を調べてみたら洗濯機の排水パイプが繋がっている場所でひどく詰まっていることが分かった。それを掃除してスイッチを入れたら全く問題なく洗濯機が動いた。つまり、洗濯機のセンサーが排水溝が詰まっていることを感知して、このままでは排水溝があふれてしまうと判断して、洗濯機を止めたと言うわけだ。昔の洗濯機ならそのまま脱水が働いて、排水溝の周りを水浸しにしてしまう。でのその代わり、原因を知ることが出来た。
今の洗濯機はセンサーがあちこちに張り巡らされていて、大きな事故にならないように予防しているわけだ。どっちが良いのだろう??今の電気製品(だけではないが)は将に「転ばぬ先の杖」なのだろう。でも「停止したら専門家を呼べよ!!」という傲慢さも感じてしまう。
実はわが家の洗濯機も調子が悪くて、最後の脱水の場面になるとトラブルを起こす。それがどんな場合に起きて、どんな場合は起きないのかを毎日実験している。だいぶ解決に近づきつつある。ちなみに私はしっかりと「実験ノート」を付けています(笑)

2015年3月6日金曜日

モンティホール問題 ( Is it the final answer ? )

出来ないくせに数学の本を読んでみたりすることがある。そこで得た知識だ。

モンティホール問題と言う数学の問題があり、アメリカの人気クイズ番組の司会者がモンティホールさんで、この番組では最後に3つの扉という最終ゲームが待っていて、3つの扉のうち1つに豪華賞品が隠れていて、のこり2つははずれ。挑戦者は三分の一の確率で商品を手に入れることが出来るものだという。ところが挑戦者が扉を1つ選んだ所で最後の誘惑が待っていて、司会のモンティホールさんが「その扉でいいですか?替えてもいいですよ。」と囁く。なんだかクイズミリオネラの『ファイナルアンサー?』と囁く「みのもんた」みたいだ。勿論選んだ扉を変えない人が多いのだが、このクイズは更に複雑で、司会のモンティホールさんが「それではヒントを差し上げましょう。」と言ってはずれの扉一つを開けるのだそうだ。(モンティホールさんは正解を知っているので・・・)扉が2つとなる、そして再び「どうしますか?変えてもいいですよ」と囁くのだそうだ。多くの人は自分の選んだ扉が間違っていても、もし自分の考えを変えて失敗するとショックが大きいので変えない人が多いのだそうだ。しかし、変えた方が得であるというのが数学的な結論なのであり、これをモンティホール問題と言うのだそうだ。

本で得た知識であるが、自分なりになるべく分かりやすく説明してみようと思う。
Aの扉が正解で、自分の考えを変える場合を考えてみる。

①  Aの扉を選んだ人を考えてみると・・・。(この人は自分の意見を変えなければ当たりなのだが)この場合モンティホールさんはB・Cのどちらかの扉を開けて見せることになるが、Aという答えを変えるので、せっかくのチャンスがなくなってしまうということになる。

②  次にBの扉(はずれ)を選んだ人が(この場合はモンティホールさんは答えを知っているからCの扉を開けて『Cははずれです、さぁどうしますか?』というはずです。)答えを変えると、この場合は残っているAに答えを変えることになるので当たるということになる。

③  同じようにCの扉(はずれ)を選んだ人も(この場合モンティホールさんはBの扉を開けて見せます。)答えを変えると、この場合も残っているAに答えを変えることになるわけなので、当たりになるというわけです。

つまり、もともと全く変えなければ、当たる確率は3分の一。変えれば3分の2ということになる。これをモンティホール問題というのだそうだ。狐につままれたような話なのだが、何度も読み返したり図を描いたりすると納得できる。また数が3択なので迷うのであって、100の扉であれば、自分の選んだ扉がどうであっても、答えを知っているモンティホールさんが次々に98個の扉を開けて「どうしますか?」と聞かれたら変えるのではないだろうか??

また、実際にこのクイズにおいて答えを変えた人と答えを変えない人の統計を取ったら、統計的にも変えた人のほうが当たりが多かったということだ。

2015年3月4日水曜日

切り干し大根 ( Dried radish )

切り干し大根を作っている。本当はもう少し早く(1月とか2月のもっともっと寒い頃に行うのが良いようだ。)作り方は簡単で、要は大根を細かく切って干す、それだけだ。
簡単に作ることが出来るのだが、魚の鯵(あじ)とか鯖(さば)とかも同じようにどうして干すことによってこんなにも味が変わり美味しくなるのだろう??太陽は「究極の強火の遠火」で、最強の調理法なのだろう。

ただ、上記の写真のように体積が10分の一位に減ってしまうのでそれが何とももったいないような気分になる。いずれにしてもだいこん切り干しを水で戻して油揚げや練り製品と一緒に煮たり、桜エビや椎茸と一緒に寿司だねにして食べるのが楽しみだ。

2015年3月3日火曜日

雛人形 ( A doll displayed at the Girls' Festival )

3月3日、今日はひな祭り。3という数字は「満つる」「充つる」で縁起が良い数字だから3月3日が選ばれたという説もあるらしい。いずれにしても5月5日とか7月7日とか奇数の連番が日本人は好きらしい。ネットで「ひな祭り」の英訳を調べたら  Girls' Festival で良いみたいだ。我が家では、もう娘はお嫁に行っていないのに雛人形を今年も飾った。

先日の新聞には最近は、「孫娘の健やかな成長を願って・・・」とか「娘の成長を願って・・・」と言うようなことではなくて、インテリアとしてとか自分のために等の理由で「雛人形」を買い求める人が多いのだそうだ。そういえば我が家の雛人形も右の人形は「古布」を使って家人が作った物であり、左の人形は旅先で見つけて購入した陶器でできた人形だ。いずれも部屋や玄関を飾るために手に入れたものだ。

2015年3月1日日曜日

今日から3月 ( March starts today. )

今日から3月。「弥生」とも呼ばれている。「弥」→いよいよ、「生」→生い茂るという事から「弥生」の言葉があるらしい。確かに借りている畑の雑草も庭木も花や新芽が芽吹く準備ができてもうすぐ花や芽が出てきそうだ。

日本では年度替りの時期でもある。だから3月は卒業式や送別会が行われ、出会いと別れの時期でもある。また、3月末には、人事異動やそれの伴う引越しや移行作業、新生活の始まりなどで何となく気ぜわしく、忙しい月でもあり、希望のあふれ月でもある。
古代ローマの暦においては、年の最初の月は現在の3月にあたり、閏年の日数調整を2月に行うのは、当時の暦での最後の月に日数調整を行っていたことの名残であるらしい。
3月の花札は「桜」少し早い感じがするが、静岡県の河津桜はもう開花しているし、3月の中旬になれば桜の開花の便りが全国のがあちこちから聞こえてくる。

「春」は便宜上3~5月をさすことになっている。しかし便宜上の季節区分とは言え、何となく気持ちが安らぐし、前向きになる。今日は雨だけど、晴れたらメダカの水槽の水替えを始めようかな。